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2020年1月27日 (月)

神様、もう少し眠らせて

散らばったままのペットボトル。
カップラーメンの空カップ。
水槽の底でジッとしたまま餌を待つ金魚。


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1月9日、朝、帯状疱疹後神経痛で身体を起こす時も痛がる母の為、人が抱えなくてもいい様に介護ベッドに取り替えた。


この時は僅に意志疎通が出来て、「何か食べたい?」と訊くと、本当にか細い声で『り・ん・ご』、と話た。

それが、私の聞いた最後の言葉でした。
母はその時、右目を僅に開き、涙を流した……。


それまで滅多に涙を見せなかった母が、神経痛になってから、夜中泣きながら呼び出しベルを鳴らす事が多くなった……。


私は、ただオロオロしながら、レスキューの痛み止めを飲ませるしかなかった。


私も三十代の頃、帯状疱疹になり、その後、帯状疱疹後神経痛に苦しみ、1年半入院しているから、母の苦しさは身に染みて分かる。

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すり潰したリンゴを、スプーンで口に入れると、噛む仕草をするものの、もう飲み込めない……

翌日、入院の為の訪問診療で医師と看護師が訪れた。
初めての在宅診療──。

診療所の診察が終わってからだろうか、夜7時を過ぎていた。


食事を全く摂れていないと言う事で、250mlの点滴を約半量、ゆっくり落としながら、明日、朝一番で入院させましょう、となった。

患者搬送には救急車を呼ぶ事にして、部屋は個室が空いているのでそこへ、となった。
病院では無い診療所なので、個室代は取らないと言う。


しかし、それは叶わなかった──。


もし、あと数日早く訪問診療を頼んでいれば、或いは、数日早く入院出来たかもしれない……、と思いつつも、その判断を誰がする?


ケアマネージャーが促したとしても、父が納得したか?
介護ベッドの提案がせいぜいだったのかもしれない。

治療してないと言う事は、全ての判断を家族がする事になる。
医師による訪問診療や点滴も、家族が要請しなくては、前に進めない。


そんな事も全く知らず、何だか全てが、後手後手になったような気がしてならない──。

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医師が帰って間もなく。
家族が、
「おかあさん、息してないよ!」と叫んだ。

直ぐ、医師に再び電話!


大晦日。
本当に何十年ぶりかで、家族が揃い、いつもの様に母は大好きな寿司を頬ばった──。


最後の年越しを、小さなコタツを囲み、小さな家族が、全員揃って迎えられた。


医師が告げた。

「午後11時56分、御臨終です」


「きっとこの家に居たかったんじゃないですかね…。病院のベッドは嫌だったんでしょうね……」


医師の言葉に、父が頷いた。

.斯くして、私は循環器内科の診察を延ばし延ばして、今、太腿の筋肉痛で足があがらず……。
電池切れが迫る、心臓ペースメーカーの最終検査も延期してもらい、3月になった。

循環器内科には、薬が切れそうなので、近々行かねば。

それまであと少し、眠らせて下さい──。
再び、気力が戻るまで──。

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2020年1月 5日 (日)

認知症ではなくせん妄

20200105_010800

約1カ月前に買ったチョコ。
食べずらく中々減らない。

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昨夜、鎮痛剤として使っていたフェントステープを中止した。
これで痛み止めはオキシコドン徐放錠とロキソニンのみとなった。


母は、相変わらず帯状疱疹後の肋間神経痛に顔を歪めるが、これまでよりは痛がらない。
ベッドのそばの簡易トイレを止めて完全オムツにした。その方が置き上がるたびに肋間神経が痛いのを防げる。
母はどうしても立ち上がりたいようだが、介護する側もその方が楽になるので、何度も何度も言い聞かせた。

それまでは頷くものの、直ぐ忘れて、ズボン下を脱いでいたが、今日は大丈夫だった。


恐らくオピオイド麻薬系鎮痛剤が多くて朦朧としていたのかもしれない。
のどが乾くと、特製OS-1甘口をコップ1杯飲むようになった。
元々甘い団子やチョコが好きなので塩味のOS-1より飲みやすいのだろう。

要介護3になって電動ベッドが借りられる事になったが、まだ保留。
何せ起こそうとすると神経痛が酷く痛むらしく、時々、自力で横向きに寝たりするので電動ベッドを使うと誰かがそばに居る必要があるので、今は、保留中。

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つくづく感じるのは、例え末期であろうと、抗がん剤治療をせず在宅緩和ケアを選択すると、次々に難題が持ち上がるのにどう対処したら良いのか迷うばかり。

その上、病院の様に春夏秋冬と24時間冷暖房完備の快適な病室とは違い、昨年の様な猛暑や冬の寒さに対し室温・湿度をコントロールする事が、とてつもなく難しい事。


気温の変化だけでも体力を消耗し、食欲を奪う。


最も厄介なのは、薬の調整で、指示通りに、朝夕とか、食後とか、鎮痛剤は何時間ごととか……これらを守る事は在宅では殆ど不可能だ。


逆に副作用で呼吸困難やアナフィラキシーを起こしかねない。
薬の知識がほぼ無い同居の介護人には何も出来なくなってしまう。
主治医に連絡する間も苦しむ患者や、救急車を呼ぶかの判断もつかい。しかも安定すれば直ぐ自宅に戻され、迷惑扱い……。


がん患者を、医療や薬剤の知識が無い素人に在宅緩和ケアさせる事が果たして正しいのか……甚だ疑問だらけだ。


これでは入院させて、抗がん剤治療で早く死なせた方が良いし、楽と言う事になりはしないか!

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2020年1月 2日 (木)

鎮痛か傾眠妄想か

吹雪の朝。

昨夜は痛みを訴える事なく眠っていた。
と言うより呼び出しボタンがどれか…どうすれば良いのかさえ覚えていないようで、教えた時は笑って「うんうん」と言うが直ぐ忘れてしまう。


痴呆と言うより、せん妄状態にある。
そばで付き添い見ていると~どうしよう。何もかも忘れて行く~との思いが膨らむばかりでオロオロしてばかり。


こちらが喋ってる事は分かるようだが、傾眠傾向が強く何を言ってるのかハッキリ聞き取れない。
ただ脇腹全体の痛みは少し和らいでいるようではある。

<使用薬の遷移>
◆フェントステープ2mg×2を1日1回12時間置きに交互貼り替え(合成麻薬)
◆カロナール300mg(頓服薬として1回2錠)(=アセトアミノフェン)
◆ボルタレン座薬→効果なしで中止
◆ロキソニン60mg(就寝時と朝食後の2回)

その後、どうやら帯状疱疹を発症。
当初気づかず湿布剤のかぶれかと市販のステロイド&抗生物質配合軟膏を塗るも、疼痛範囲が背中から胸元まで広がり→帯状疱疹と判明→その後帯状疱疹後神経痛へ移行。

急遽、薬剤追加。

<追加分>
◆アシクロビル錠200mg×2朝夕(抗ウイルス剤)
◆オキシコドン徐放錠5mg×2朝夕(あへん系麻薬)


オキシコドン服用2日目からせん妄状態が酷くなって意識朦朧となったので、鎮痛剤の過量によるものと思われ、フェントステープを用法容量事項のオキシコドンへの切り替えに基づき、2日ごとに使用を中止し4日で全切り替えに。


12月31日。
母は年越し寿司を各半分こで、6品食べた。
神棚のある方角に向かい手を合わせ……涙ぐむ。
毎年の大晦日と同じように紅白歌合戦に目を向け、また直ぐに横になった…


9月頃までの余命宣告から、帯状疱疹と言うアクシデントがあったものの、新しい年を迎えられた事に感謝するばかり。


来週、地元の小さな病院に診察に行く事になった。
状態を診て、訪問看護や入院に備えるらしい。


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