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2008年7月 2日 (水)

華原朋美......あなたを守りたかった

2007年6月28日、所属事務所から契約解除され、芸能界から引退せざるをえなかった華原朋美ちゃん。

堂本兄弟の後ろの席に座っていた頃を、今でも視覚合成してしまう。



確かに、小室哲哉との交際から破局に至る経緯は知っていた。

自殺騒動も知っていた。やつれた顔で、一生懸命、乗馬着で復帰インタビューに答えていたのも見た。

たぶんそれは朋ちゃんが、もっと歌っていたい…芸能界にいたい、と言う切なる思いから踏ん張ったに違いない。



でも結果的に、朋ちゃんは立ち直れなかった。誰もが、深く関わるのを好まなかったのかもしれない。当然、事務所は働いて欲しいとばかり考え、心のケアは医者任せだったかも…と想像に余りある。


誰も、朋ちゃんの心の支えになれる人がいなかった。孤独だったと思う。



私が今の病気になったのは、10年以上経つ。

Somatoform disorder......日本名では正確な病名がないが、いわゆる身体表現性障害と言う。


この診断が確定するまで、様々な薬を飲んで来たし、様々な病名を付けられた。病院によっては、全く手の施しようがなく、病名も分からず、薬も出さない所さえあった。


そして長い時間を掛けて、今の病院の、今の先生と出逢った。いわゆる大学病院の教授という肩書きで、時には学生に講義している。この先生の診察は予約制だが、それはあくまで目安。

一人に付き、10分で終わる時もあれば、1時間以上患者の話を聞く事もある。いわゆる一般の開業医のように、15分でスパッと切る、と言う事はしない。


この先生とのカウンセリングで、私は自分の性格の原因を初めて知った。遙か、小学生の頃まで遡り、私の心が見えて来た。と同時に、私はうつ病では無い事を知った。一生薬を飲み続ける以外に、症状を抑える事は出来ない。





華原朋美は有能な母のもと、常に羽ばたいていなければならなかった。信頼していたマネージャーの退社。数々の圧迫感。既に朋ちゃんの周辺には、心を預ける場所が無くなっていたかもしれない。

孤立する心…。

辛い励ましの言葉。



朋ちゃんが引退というニュースが流れ、その後、間もなく画面から姿が消えた時、周囲の声は…


誰一人として、何一つとして、華原朋美の心の病いを真剣に受け止めるコメントが全くなかった。まるで全て朋ちゃんが悪いみたいに書かれた記事や文章ばかり。



何故、重大な病気になってしまった一人の人間に、あんなヒドイ事が言えるのか。それまで、朋ちゃんは、誰にも相手にされず、頼りになる筈の医師にも、真剣に相談にのってもらえず、ただ薬だけを処方する。それは至極当然の事で、医師も当てにならないと知ったら、薬に頼るしかなくなるのだ。


そんな精神科の事情を知っているのか?



そして私も経験したが、ODをしてしまう。この場から逃げたい!その一心で、睡眠薬をたくさん飲んだ。でも結局死ねなかった。


そんな気持ちを周囲の人間は誰一人として理解できなかったのか?それを怠けと中傷するなら、何故誰も真剣にかばってやれなかったのだろうか?





Photo












朋ちゃんは、一生懸命戦った。

たった一人で戦った。


朋ちゃんの声と一途な性格がとっても好きで、テレビのPVを録画していた。そして再び朋ちゃんの姿が見たくて、最後のコンサートDVDを買った。


朋ちゃんは、思いっきり跳ねていた。でも小室哲哉の曲は、とても切なさそう。見ていて辛い。

でも好きな事をしていたいと言う思いは、ヒシヒシと伝わってくる。誰かに寄り添いたいという気持ちも伝わってくる。




図々しいけれど、私なら、朋ちゃんを支えられる、と思った。


恋を殆どしたことが無い私が言うのもおかしいが、少なくとも、誰よりも朋ちゃんの心が分かる気がする。

朋ちゃんが心の奥底に抱えている重い錨を、少しでも軽く出来る。これは同じ心境にならないと分からない。


好きな事がしたいけど、一人で続ける事への不安と、信頼のおける人が居ないという不安。身体と心がアンバランスに陥って、均衡を失ってしまったのだと思う。




肩を押す必要はないのだ。

ただ、前髪を撫でてあげればいい…。




朋ちゃん……今どうしてますか?



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