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2008年11月 5日 (水)

受け継ぐ者がいない

人は必ず死ぬ。


しかも概ね、それは生まれた順にやって来る。


世代は受け継がれ、残された者は、次の世代の為に、

生きてゆく。




でもそれが出来ない人、受け継ぐ者がいない人は、どうなるのか?

当然、孤りだ。

仮に、幸運にも子供が居たとしても、今、何と孤独死が多い事か。

誰にも見守られず、死んでゆく人達。


何故子供が居るのに、孤独なのか?


結局、それは子供の居ない私と同じなのだ。



やがて必ず、本当に近い将来、独りぼっちになる日が来る。


その時が来た時、私は独りで生きて行けるだろうか…

と言うより、それから先、私は何の為に生きるのだろうか、

と考えた。

そしたら、その思念が消えなくなった。


こんな大きな家で、たった独りで、どうやって生きて行けばいいのか…

持ち家があると、生活保護は受けられない。

ましてや…




そして私は、死ぬ事よりも、取り残される怖さに襲われた。

去年、寝込んだ時、一度だけタクシーで病院に行って、薬を貰って来た事があった。

それはもう最悪の事態だった。

往復などで1万円以上費かった。

しかもタクシー代は戻って来ないので、以後、諦めた。


こんな時、頼める人は誰もいない。


動けるならまだいいが、寝込んだら最後だと思うしかない。


こんな事態の時、どうすればいいのか…

役所も先生も誰も教えてくれない。


担当の先生は、『今はそれは考えないで、その時になったら考えましょう。

それまでに、身体を丈夫にしなきゃね』とおしゃったが、

確かに、身近に差し迫っている、来たるべき孤独に備え、

身体を少しでも動かして……


でもそれはとっても的外れで、

人は孤独になっても、何故生きるのか? の答えになっていないのだ。




人は必ず死ぬ。




そして心の弱い人間は、その孤独に絶えられず、自ら死を選ぶ。

悲しいかな、男性の自殺日本一という汚名が、その凄まじい現実を物語る。


だから人は、決して独りでは生きて行けない。


人間以外のあらゆる動物には、必ず子離れと言う儀式がある。

鳥も獣も…昆虫に至っては、子供の姿を見ずして、死んでゆく。

生まれた子供は、殻を食べ、葉を食べ、水や樹液を吸い生きてゆく。


人間だけが、子供の方から死んでゆく事がある。




人間は幸せだと、独りで暮らしたがるようだ。

家もそんな風な間取りだし、アパートやマンションも大所帯向けに

作られていない。


人間は健康だと、親を煙たがるようだ。

そして必ず同居をしたがらないし、親も慣れていないからか、

エゴの固まりで、決して馴染もうとしない。


人間が誕生してからずっと続けられて来た、みんなで協力し合うと

言う大家族の良さが、毛嫌いされ、個人主義の名の元、核家族化が劇的に進んだ。


親を捨ててもいいが、親より先に死んではならない。

そんな当たり前の事が、いつしか風化してしまった日本。




本来なら、子供には、親の死を看取る義務があると思う。

人間も動物だけど、他の動物と違うのは、言葉と文字を持つ動物なんだ。

もし野生のままなら、人間も多分、言葉も文字も知らないままだと思う。

でも人間は、言葉も文字も伝える事が出来る唯一の動物なんだ。

それはやっぱり、親から子へ伝えられるもの。


誰もが最初に発する言葉は、『ママ…パパ…おとうさん…おかあさん』

その感謝だけは忘れてはならないと、私は思う。

だからそれから逃げるのは、私はやっぱり卑怯だと思う。



しかしそう思っても、その後どうする?



今度は私は、誰からも看取られず、独りで息絶えてゆく。


それはどんなに裕福でも、どんなに貧しくても、

誰にでも訪れる、孤独………



独り取り残される瞬間が、刻一刻と迫っている。

その時がいつくるか分からないが、

確実に迫っている。

そんな怯えてばかりの私が、地球の明日なんて

考えていられない。

もうそんな余裕は、私の心には、どこにも残っていない。




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