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2009年2月の記事

2009年2月25日 (水)

エピソードⅧ 手を振った夜

こんなにも、たくさん鼻をかんだのは

初めてかもしれない。


これまで一緒に居る時間が殆ど無くて

一緒に出かけた事も無かった。


帰り道…鼻水が止まらない。


私は、こんなにも........


2009年2月19日 (木)

何かが変わった?

昨日までの3週間、


色んな思いが脳裏を駆け巡っていた。


障害を持った身体で、独りで生きて行けるのか?


もやもやした思いを先生に話した。

私には、自分の本心を喋れる人は、先生しかいない。


だから3週間分の思いの丈を、延々一時間も喋り続けました。


久しぶりに喋ったら、顎が痛くなり、頭痛までしてきた。



でもその後、私の中で、何かが蠢(うごめ)いた。



精神神経科には珍しく新しい患者が沢山やって来ていた。

だからいつもより待ち時間は長かったけど、

実は、すぐ隣は、眼科なのだ。


特にいつもながら、椅子は空きが無く、精神科の椅子の方にも

沢山の人が座っていた。


どうも子供の患者が多く、個人医院では不安なのか、

お母さん連れが目立つ。


昨日は、たまたま乳母車を引いた女性とメガネを掛けた子供が

隣に座った。

赤ちゃんはまだミルクを飲んでいた。


当然赤ちゃんは愚図るのだが、


私は、赤ちゃんの甲高い声が好きなので、そんな声を聞くと、ホッとしてしまう。



昔は、赤ちゃんが欲しいなぁ・・・って本気で思っていたけど、

遂に夢は叶わなかった。



先生にいろんな思いを話して、「どうすればいいのでしょう?」と

私は何度も同じ言葉を口にしていた。


先生の言葉は、いつも優しいのです・・・・・



『その時になったら考えればいい事だよ。』


それがいつもの口癖。

でも落ち着く。



私はこれまで、頭を撫でられるように、諭された事がない。


父にも母にも・・・


唯一、曾祖父だけが、私に昔話を聞かせながら、

縁側で青い空と稲穂を見つめていたらしい。



祖父は後妻と出て行き、父の母は早くに事故で亡くなった。


父の姉と妹はすでに他界し、腹違いのもう一人の妹がいる。


母は姉妹喧嘩の末、絶縁。兄はすでに他界している。


だから私には、お祖父ちゃんの記憶が殆ど無い。

母の叔父には可愛がられたが、酒癖が悪かった。



私は、歯磨きを教えられないまま育った。

挨拶も何も教えられなかった。

朝起きて「おはよう」「いただきます」「行って来ます」など

全く知らないまま小学校・中学校へ通った。


弁当はいつも自分で作って持って行った。


夜はいつも一人でご飯だったし、


「ごちそうさま」「おやすみ」も、教えられなかった為、

そういう言葉自体を知らなかった。


まるで数学の方程式のように、ただ単に使い分けるだけで、

自然にそれらの言葉が出て来ない。



だから今は、人とぶつかったら、「すいません」と、

言えるように努力している。



ほんとうに変な話・・・。






だけど昨日、何かが弾け飛んだ。


ぎゅっとキツく栓をしていた蓋が、スポっと!


外れた気がしたんだ。



やがて必ず一人ぼっちになる日が来る。


そうなった時、私は絶望的な寂しさに苛まれるだろう。


たぶん私はそれを打破するは無理だと思う。



そうなったら、等身大の中古のマネキンでも買おうかな(^_^;)

ウイッグ付きの・・・。


赤ちゃんの変わりに、小さな犬でも飼って、

ドライフラワーでも飾りましょう。




本当はずっと前から分かっていたのです。





人が何のために生きるのか?


生きる意味って何?


その答えは、ずっとずっと以前から気づいていたけど、


それが現実になるのが怖かった。


今もやっぱり怖いんだよ、今も。




2009年2月18日 (水)

日本家電メーカーの衰退

今朝の新聞の経済面に、小さな記事が載った。


しかし同時にこの記事が、日本の家電業界に鋭い杭を投げつけた。


ダイナコネクティブ社(東京)が、大手スーパーのイオンと共同で、格安価格の家電製品を販売する。

第1弾は、国内最安値水準の4万9800円DVDプレーヤー内蔵32型液晶デジタルテレビ。沖縄を除く全国のジャスコ、サティなどイオングループ336店舗で取り扱う。


イオンは、「液晶テレビの価格がまだ高い」「DVDの接続が面倒」といった顧客の声を踏まえ、取引のある中堅電機メーカーのダイナコネクティブ社(東京)に、再生専用のDVDプレーヤーとテレビが一体となった低価格品を提案した。

ダイナは、円高ウォン安で値下がりした韓国製パネルを使うことなどで低価格を実現した。品質面について、イオンは「工場だけでなく第三者機関で安全性、耐久性を検査した」としている。


このダイナコネクティブ社の社長は韓国出身のようで、取引メーカーに、韓国の大宇電子がある。


国内メーカーが大型テレビばかり発売して、頓挫したデジタルテレビ。

飽食の時代はとうの昔に終焉しのにも気づかず、40型、46型、52型と巨大テレビばかり売り出して来たが、今の世の中の大多数の人はアパートやマンションに住み、一軒家でも隣近所の音に迷惑していると言うご時世に、そんな大きなテレビを買って、でかい音量で見るなどは、実にほど遠い話なのに、よくもまぁ巨大テレビばっかり作ったものだ・・・と呆れていた。


しかもエコだ、消エネだと大騒ぎしている最中にも関わらず、ブラウン管テレビより消費電力を喰う大型液晶テレビを作ってて、よく「環境にやさしい企業」だなどと、唱えていられるもんだと思っていた。


結局、操業停止や休止で、かなり消エネになってしまいました。

大口の電力が減ると、CO2も減るので、環境には良い事ですねが・・・

まぁ、自業自得でしょうか。



先日、某大手電機メーカーと音響メーカーが合併して、某大手電機メーカーは民生用から撤退すると発表されたので、早速問い合わせをしてみた。


するとこんな返事が帰って来た。


今後一切、民生用は作る気はありません。VHSとDVD一体型ビデオも他のメーカーに任して、一切手出しはしない。

と言う返事でした。

まぁこの分野でも、韓国製や中国製が大手ホームセンターなどで販売しているので、何も無理して家電量販店で高い製品を買わなくても済むし。



ダイナコネクティブ社はこれまでに20型液晶デジタルテレビを、3万9800円で販売、好調な売れ行きだ。


この勢いで、32型も売れるに違いない。


何でも、地上デジタルチューナーだけのICチップとパーツだけなら、2000円程度らしいので、それに液晶パネルをくっつければもっと安価に出来る筈なんだもの。

とにかく日本製の液晶パネルは質は良いかもしれないが、価格が高い。

だから安価で性能もそこそこの韓国メーカーが台頭してくるのだから、それに気づいていながら高額、高額の方ばかり目指して、結局追いつかれ、安価な製品の分野も占拠され、おたおたしているうちにこんな有様。



世界一新製品に敏感な日本人が買わない・買えないような液晶テレビが、

世界で売れる訳もない。


世界一流行に敏感で、徹夜して並んででも手に入れたいゲーム機のように、

独自の技術と安価でなければ、本来一般には浸透しない。





2009年2月17日 (火)

退院

母が予定より3日早く退院して、戻って来た。


まだ抜糸したばかりなのだが、

入院患者が待っているとの事で

やや追い出された形となった。


それでも、安堵した。


これまで毎日足の痛みと戦ってきた母が、


笑顔になって帰って来たので


とっても嬉しい。


なんか、今日だけ、素直に


何度も母の寝室を覗いた。


これから約一週間、


エアコンのある部屋で静養する。



この間、私の心の中では様々な葛藤が渦巻いた。

どうやって気持ちの変化を抑えようか・・・・・


そればかり考えていた。


人は誰かと話をすると、元気になるらしい。

私も話しをしたけど、

やっぱり、


私には、この大きな家を一人で守ることは、


出来そうにも無い。



明日は三週間ぶりの診察日なので、

そんな事を先生に話したいと思っている。


だんだん眩しいものが見えなくなっている気して・・・


助けを求められる人は、誰もいない現実だけが、


樹氷のように心を凍らせる。



2009年2月16日 (月)

カラーリング

貧困状態にも関わらず、


ずぅ~っとしたかった、髪染めを実行しちゃった


希望としては、木村カエラっぽく…

だったんだけど、ちょっと無理かな、

とか思いながら、

でもそんな感じを注文してみました。


少し濃いめの茶系に、赤のメッシュを入れて。


待つこと4時間…



めがねを付けてないとボヤっとしか見えないから、


なんか鏡の向こうの私は、


可愛い女の子の様なの…



でも現実は、ひ弱なミーアキャット?


出来上がりは、さすがプロ。


何となくキレイな仕上がりに、

まずまず満足(^ ^;)


顔剃りと、序でにストレート・パーマもして

〆て9000円just

安い





生理前専用サプリ

2009年2月 7日 (土)

料理勉強始まる

溜まっていた洗濯物を、娘が朝から洗ってくれた。


その後、たこの水煮と、さばの缶詰とみそ汁で朝食。


午後12時、娘を病院まで送る。


駐車料金がめっちゃ高いので、

私は帰宅。



早くもちょっと疲れ気味なのか、

キラキラが見えた。


偏頭痛の発作の前兆である。



とりあえず大福を食べ、痛み止めを飲む。

偏頭痛は痛くなってから飲んでも、

さほど効果が無いので、

前兆が来たら、直ぐ鎮痛薬を飲むのが

確実。



最も不便なのは、

乾癬の薬を背中に塗る時。

一番酷い症状の背中に、思うように手が届かない。


それとゴミの分別でしょうか・・・


カラータイマーはまだ消えない

手術の翌日、母は早速トイレに自力で行ったらしい。


全て順調に経過しているようで、安心した。


約10日ぐらいで退院出来る見通しとなった。

(*^_^*)vvvvvvv



その間、私は……



ご飯作りからスタート。


と言っても、それは父が炊くのだが、

朝の定番であるみそ汁を作る。

材料は、豆腐とねぎとだし入り味噌。


これは良く出来た。


そして魚。開きサンマを焼いて、赤貝の缶詰。

それとトマトとキューイ。


昼は毎度、パンのみ。


夜は、野菜炒めにした。

これは結構手慣れたもの。

もう20年以上も前の官舎での一人暮らしが、

こんな時に役に立った。

おいしさの秘訣は卵とじ。

スパイスは、こしょうと少しの醤油のみ。


そして青野菜ジュース。



食器の片づけと洗いは私の役目。


あとは睡眠薬を飲んで、爆睡でした。






手術日

娘と父と私は、午前10時に自宅を出発。

病院前の普通の駐車場に入れる。


母は既にICUと書かれた部屋にいた。

足からは点滴。

至って元気そうだった。


それにしても、建物はB1から4階までだが、

建物はかなり古い。

階段の足場の色は剥がれ、

部屋の壁も、汚れ、床にはヒビもある。


しかもどうやら昔は6人部屋だったらしく、

天井戸棚が6個ある。

今は、二人用のICUらしいが、

部屋に空きが無いと、急遽ここに入る事もあるらしい。



午後、2時30分。

予定より遅れて、手術室へ。


私と娘と手を握って・・・



手術が終わったのは午後5時。


ICUに戻って来た母は、全身麻酔で

まだぐっすり睡眠中。

と言うか、いびきをかいて爆睡中。


看護婦さんが声を掛けると、目を覚ますが、

直ぐに眠ってしまう。



母の顔は、お祖母ちゃんの顔そっくりだった。

ごうじょっぱりだったと言うお祖母ちゃん。

その顔に近づいて行くのかな、と思って

悲しくなった。


言いしれぬ沢山の苦労を背負って、

18歳でお嫁に来て、後妻の姑との対立。

父のお祖父ちゃんとの縁切り別居。

腹違いの妹との別れ。

実の姉二人との財産争いと確執。


本当に様々な苦難を乗りこえ生きて来た。



そんな母の寝顔は、大好きだったお祖母ちゃんの顔に

戻ってゆく。


まだまだ元気でいてね。



まだまだ愛しているからね。




執刀医師が来て、手術結果を言われたのは

午後8時半。

手術は無事成功です、と言われ、安堵。


この夜、娘が付き添いする事になった。



おめでとう、かっちゃん。

あんがと、娘。


最強の味方登場

この日の為に、妹が帰って来た。


かなり遠くに行っていた妹。


私の妹は、芸能人で言えば、菅野美穂にそっくり

菅野美穂が初めてグラビアに登場した15歳の時、

そりぁ驚いたさ

何せ、笑い顔から、威張った顔まで、そっくりなんだから

正に我が目を疑ったさ。


そして成長した現在の菅野美穂とは……

やっぱり似ているのだ。

ビックリ・クリソツ。


と言う事で、これで大体私の顔も想像がつくかと思うが、

私も、妹にそっくりなので、

早い話、私も菅野美穂に似てる・・・

と言う図式になる訳です。


そんな顔立ちだったので、

私は高校生の時は、木村カエラと同じ髪型をしていた。

そう、内側に巻いていたのだ。


勿論、高校では長髪は禁止。


当然、私は担当の先生に、丸坊主にされたのでした。

確かに長かったので、さすがにこれには妙に納得して

少々楽しい気分だった。


何故かこれは、いい思い出として残っているから、

人生とは実に不思議だ(^_^)v




さて、明日はいよいよ手術の日。

母、入院

今日、母が市内の脳神経外科に入院した。


私は朝から、ちょっと落ち着かなくて、下痢気味。


母がいない夜は、前回の検査入院以来。


全然、落ち着かない。

2009年2月 6日 (金)

エピソードⅡ 浸食

それが、これまでの生涯で最も驚いた瞬間だった。

「就職しろ」

と、父が唐突に言った。

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私は幼い頃から、殆ど勉強しない子供だった。

自分は農業を継ぐんだ、と物心ついた頃から、ずぅ~っと思っていた。

だから親の敷いたレールの上を、ただ黙々と歩いて来た。その間、

他の事は全く考えた事がなかった。

中学の時、初めて、近くの大規模農家に「慣れ」の為、泊まった。

でも…今想い出すだけで、涙が出てくる。

それほど、一人が淋しかった……

高校入学の時も、受験勉強を一切した記憶が無い。


その後、大学へ進む。

その時も、全く勉強しなかった。

基本的に、頭が良かったようで、特に物理が大好きだった。

しかし大学生活は悲惨なものとなった。

まず、一年の時に出来た友達…気のいい仲間になったが、

全員二年の時に中退した。

家庭の事情が殆ど。

なんで、私の友達だけ辞めてしまうのか、悪夢の世界に居るようだった。

更に、告白した女の子は…「ごめんなさい。男性を愛せないんです」

と、おっしゃったのでした

2007年「牛に願いを」と言うドラマが放送されたが、まさにあのまんま。

実習があるのだ。しかも夏期の間、農家に泊まり込む。

所がこれが私には不向きだった。

体力がついていかないのだ。

秋田から来たと言う女の子は、これまた凄い働き者で、

私は更に比べられているようで、肩身が狭い。

おまけに、私は疲れやすく、すぐサボる癖があった。

このいわゆる実戦で、私には、農家・酪農は無理だと悟った。

あの頃の事は、何一つ私の身になったものはなかった。

それでもその時辿っている道は、正しい道だと、とことん信じていた。

そして私は、挫折というか、疲労感というか、安堵感というか、

複雑な思いを抱いて、卒業した…

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地元に帰り、私はてっきり、実家を手伝うものとばかり思っていた。

しかし、父は言った。

「まず、就職しろ」

その時、私は思った。

「就職」って何?

働くって何?

何んと、それまでの私は、家を継ぐ事が人生だと信じて生きて来たので、

就職と言う言葉の意味が判らなかった。

初めて耳にする言葉だった。

常識では考えられない事かもしれない。

殆ど全ての若者が直面する大問題だと言う事は、そのあとに知った。

そして私は、父の言われるがままに、と言うより、

手を引かれた子供のように…

父の選んだ就職先に就職した。

…しかし、迷い込んだその職場は、悪魔のように、私の身体と精神を蝕み始める。

私の人生の崩壊が始まった…

2009年2月 3日 (火)

落下る

眠れない。


何度も不吉で苦しい夢ばかり見る。


やがて必ず一人に、

なる日が来る。


何の為に生きるのか?

孤独の日が近づいて来る。


誰にも気づかれず死んで、

腐敗し、汁が溢れ、

白骨になっても気づかれないのは、

あまりにも悲惨だが、

それが現実になりそうだ。


怖い。


気持ちが萎縮して、

益々、足腰が痛む。


もう終わり。


2009年2月 2日 (月)

これから

手術を受ける為、

母が入院する。

初めての長い入院。


しばらく父と二人。

負い目のある私は、

苦手だ。


なんとか頑張らなきゃ。


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