エピソードⅡ 浸食
それが、これまでの生涯で最も驚いた瞬間だった。
「就職しろ」
と、父が唐突に言った。
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私は幼い頃から、殆ど勉強しない子供だった。
自分は農業を継ぐんだ、と物心ついた頃から、ずぅ~っと思っていた。
だから親の敷いたレールの上を、ただ黙々と歩いて来た。その間、
他の事は全く考えた事がなかった。
中学の時、初めて、近くの大規模農家に「慣れ」の為、泊まった。
でも…今想い出すだけで、涙が出てくる。
それほど、一人が淋しかった……
高校入学の時も、受験勉強を一切した記憶が無い。
その後、大学へ進む。
その時も、全く勉強しなかった。
基本的に、頭が良かったようで、特に物理が大好きだった。
しかし大学生活は悲惨なものとなった。
まず、一年の時に出来た友達…気のいい仲間になったが、
全員二年の時に中退した。
家庭の事情が殆ど。
なんで、私の友達だけ辞めてしまうのか、悪夢の世界に居るようだった。
更に、告白した女の子は…「ごめんなさい。男性を愛せないんです」
と、おっしゃったのでした
2007年「牛に願いを」と言うドラマが放送されたが、まさにあのまんま。
実習があるのだ。しかも夏期の間、農家に泊まり込む。
所がこれが私には不向きだった。
体力がついていかないのだ。
秋田から来たと言う女の子は、これまた凄い働き者で、
私は更に比べられているようで、肩身が狭い。
おまけに、私は疲れやすく、すぐサボる癖があった。
このいわゆる実戦で、私には、農家・酪農は無理だと悟った。
あの頃の事は、何一つ私の身になったものはなかった。
それでもその時辿っている道は、正しい道だと、とことん信じていた。
そして私は、挫折というか、疲労感というか、安堵感というか、
複雑な思いを抱いて、卒業した…
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地元に帰り、私はてっきり、実家を手伝うものとばかり思っていた。
しかし、父は言った。
「まず、就職しろ」
その時、私は思った。
「就職」って何?
働くって何?
何んと、それまでの私は、家を継ぐ事が人生だと信じて生きて来たので、
就職と言う言葉の意味が判らなかった。
初めて耳にする言葉だった。
常識では考えられない事かもしれない。
殆ど全ての若者が直面する大問題だと言う事は、そのあとに知った。
そして私は、父の言われるがままに、と言うより、
手を引かれた子供のように…
父の選んだ就職先に就職した。
…しかし、迷い込んだその職場は、悪魔のように、私の身体と精神を蝕み始める。
私の人生の崩壊が始まった…
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