エピソードⅥ 小説
ありきたりな話だが、私にも本を読んでいた時があり、
こざかしい小説なんぞ書いて挑んでいた時期があった。
いつから私は、本を読まなくなったのだろう・・・
恐らく今の病気が酷くなった時からだと思うが、
とにかく文章に集中出来なくなった事は間違いない。
そうなる前まで、実は小説書きに没頭していた頃がある。
中央の2枚のテレカは、その当時応募していたパレットノベル大賞で、
確か2次か3次予選を通過した人だけが貰えたオリジナルのテレホンカード。
佳作の一歩手前まで行ったが、さすがに入賞は出来なかった。
世の中そんなに甘くはないのだよ、ワトソン君
入選作を読むと、やっぱり恋愛と死、イジメと死、虐待、レイプ等、
刺激的な内容のものばかりが賞を取っていて、私が書いていたような
ジュブナイル小説は、もはや時代遅れだった。
さぁ、ここからだよ。
よくもまぁ、最後の章になるとどんどんヒロインや主人公が死んでゆく
世の中の若者があんなに簡単に死んだら、若者が居なくなるじゃないか・・・
頼むから風邪をこじらせただけで殺さないでくれよ!
急に不治の病にならないでくれよ、若いんだからさ!
しかし次から次へと、病気で死んで・・・・・事故で死んで・・・・・自殺して・・・・・ジ・エンド。
実に短絡な小説が多い
そこで考えたわけだ。
何を?って、真っ向勝負の江川卓のように(古い)、直球勝負!打たれたら、素直に負けを認めよう。
そこで深く考えた。
根っからの推理小説好きだった私は、誰もが驚くようなトリックで、
前代未聞の話を創り上げた。
それが「消えた新幹線」と言う話
昭和64年(平成元年)の事だった。
書いた当時、私はおよそ10ヶ月もの長い入院生活をしていた。
ワープロを病室へ持ち込み、小説を書き始めた。
その前に、この小説はどうしても400字詰め原稿用紙350枚にする必要があったため、
念入りにフローチャートを作った。
設定は奇抜であればある程、関心を惹き付けるので、
畳みかけるように、犯人側は想像を逸脱した仕掛けで、警察に挑む。
だから長編でなければならなかった。
☆内容はこんな感じである……。
博多発東京行きの最終新幹線が、西明石駅を通過して間もなく、
走行中の線路上から乗客1000人余と16両編成まるごと忽然と姿を消す。
直ぐ、付近の全ての新幹線を最寄り駅に停車させ、保線員が徒歩と車で
現場へ向かった。
新幹線総合司令所でも同時刻、やはり運行パネルから表示が消えた。
最も昼の短い2月の霧雨の降る寒い夕刻の出来事だった。
16両の新幹線と約1000人の乗員乗客は一体どこへ消えたのか。
どうすればそんな事が可能なのか。
同時刻、兵庫県内の途ある交番に電話が掛かった。
電話の声は明らかにコンピューターで合成された声だった。
その声は交番巡査に不可思議な文字を書かせ、直ぐ兵庫県警本部へ行けと命令する。
既に県警本部は、消えた新幹線の事で右往左往状態。
巡査が怪しい声からのメモを伝えると、そのメモを理解出来る者がいなかった。
しかしここで主人公の登場!彼はそのメモが犯人からの通信手段の方法だと察した。
しかもその手段は尋常な常識を遥かに越えた方法だった。
こうして捜査陣と犯人との息づまる戦いが始まった──
まぁ、こんな感じだけどね。
気持ちとしては、ある程度強引でも、とにかくマジックの種証しみたく、
ああ何んだ、と落胆させてはいけない。
マジックなら素っ裸で鳩を出せるか? というくらい徹底的に謎にする。
そして書き上げた小説を2部コピーし、1部を九州の途ある県の小説公募へ。
もう一つは有名出版社の有名な小説公募にそれぞれ送った。
結果は、九州に送った方は、長編部門で最優秀賞
有名出版社の方は、1次予選を通過したのみだった。こちらの方で大賞を獲ったのは、
かねてよりこの出版社と関わりがあった、とある大学の先生だった。
九州に送った方は、本にしたいと言って来たが、それは丁寧にお断りをした。
何故なら、この小説を書いてみて、もう書けないと思ったし、
私利私欲に走る出版社に踊らされたくなかった・・・・・と言えば綺麗に聞こえるが、
結局私にはそれだけしか才能がなかったのだ。
人は誰でも一度は小説家になれる。
エッセイは、他の誰もまねできない己だけが書ける唯一の小説だからだ。
だから卓越したアイデアやトリックをふんだんに駆使出来る作家は、
自小説をなかなか書かないものである。
まあそういう事らしい。
私の場合、小説を読みたくないと言うのではない。
例えば小説を読むとなると、その世界に入り込んでしまうものだが、
そうなると音に敏感な私は、小さな物音でも、気になってしまい、
時にはビクッと仰天する事がある。
玄関のチャイムやドアの音、廊下の足音等々、気になって仕方がない。
外へ出ても、話声がするとそっちの方が気になる。
人の動き、大小、高低、とにかく気になって本に集中する事が出来ないのだ。
先生によれば、これが通常生活を困難にしているらしい。
そしてこの症状が、身体表現性障害の典型だと言う。
ただそんな私でも、心地良く聞こえる音がある。
それは子供の声と女性の声。
特に高い声を聞くと安心する。
逆に男の低い声は酷く苦手だ
脅されているような威圧感がある。
何故こんなになってしまったのだろう?
もっと読みたい本がたくさんあるのに……
ちなみに一番最近読んだ本(かどうかは不明)は、泰葉の「開運離婚」です。
(それでも1年以上前ですね)
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