鮮明
どうやら胃腸薬の集中攻撃で、胃もたれもかなり楽になったので、
椅子に座ることも出来るようになった。
今朝になって、父もずぅ~っと胃もたれが続いていて、
昨日あたりちょうど良くなったと言ってた。
母は何ともなかったようで、たくましい胃袋である。
こんな時は、とても市販薬では収拾がつかないので、
常備薬として漢方薬を、母はいつも貰っているから
それが効いたみたいだ、なんてな事を話していた。
おいおい、それじゃぁ家族みんなで、秋田ふきで仲良く胃もたれかぁ・・・
さて、本題。
ブログネタ:人生一番目の記憶は?
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それは幼稚園の時の事で、それ以前の記憶は既に無くなっている。
生まれつき身体の弱かった私は、しょっちゅう熱を出す子供だったらしい。
そんな私が幼稚園の時、肺炎になって、
当時2軒しかなかった医院の一つに入院した日の出来事である。
熱は42゜を越えていた。
体温計の水銀柱が42゜の赤いラインを越えているのを覚えている。
早速、当時出始めた抗生物質のペニシリンを
お尻に刺された。
この頃は、抗生物質と言えばペニシリンだけ。
これがしこたま痛かった。
それから病室に運ばれ、布団と茶色の毛布を掛けられた。
そのあとに悲喜劇が起こった。
看護婦さんが、紙に包んだ粉薬を飲ませようとしたが、
水を持ってくるのを忘れたらしく、
粉薬をそのまま飲むことになった。
粉薬の色は、うぐいす色。
口の中に入れたが、当然ながら粉薬を飲み込めるはずもなく、
私は、むせた。
そして、嘔吐した。
茶系の毛布の上に、うぐいす色の粉薬と食べ物の未消化物。
ドバーっと広がる、ゲロの海・・・・・・
(汚い話で申し訳ありません)
その味が、その後の人生を左右する結果となった。
実はその味は、肉を食べた時の感触と味にそっくりだったのだ。
その結果、小学校の時は、全く肉を食べれなかった。
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今は普通に肉は食べられるようになった。
(後日談)
この肺炎で入院し、退院すると、
胸の真ん中のちょっとへこんでいる所が、更にへこんでいた。
ちょうど肋骨の終わりの所である。
小さい頃は、自分のげんこつがそっくり入るほど、へこんでしまっていた。
何故こうなったのかは、全く不明。
これが今も残っている、人生最初の記憶。
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