地震多発地帯ですから…
ブログネタ:地震対策してる? 参加中
もちろん、何んにもしてません。
岩手・宮城内陸地震は、断層地震だったので、さすがにビックリでしたが、
三陸沖は地震の巣なんで、日頃の備えは、殆どしてません
慣れとは、怖いものでやんす
さて、本論はここから……
私が小学生の時、その日はたまたま地震の避難訓練をしていました。
机の下に潜ったり、一斉に校庭に逃げ出す訓練。
全校生徒が、校庭に避難し、集合した時、それが起こった。
1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分53秒。
北海道襟裳岬東南東沖を震源とする、M7.9の地震。
1968年十勝沖地震です。
盛岡市周辺でも、震度5を記録したのですが、
驚いたのは、校庭に避難した直後だったと言う事です。しかも、その揺れは激しく、校庭に地割れが出来たのです。見る見るうちに、小さな亀裂が校庭に走る・・・・。
それは驚く光景で、今でもハッキリ覚えています。
校舎の壁は崩れ、柱は歪み、いたる所にヒビ割れが出ました。
もし避難訓練の日じゃなかったらと、考えると、恐ろしくなります。
日本は地震から逃れる事は出来ません。
有史以来、一体どれほどの地震が日本列島を襲った事でしょう。
それにも関わらず、神社・仏閣……特に、五重塔は、何故倒れないのか、随分昔から不思議でたまりませんでした。
山形県羽黒山五重塔(応安五年 1372年建立)は、奥羽・関東を通じて唯一の国宝塔なのだそうですが、この塔を初めて見た時、日本人の知恵は凄い! と感動した事を覚えている。
山の中腹に、なんで五重塔を建てたんだろう、と。
地震と台風と雪と氷点下と梅雨と真夏。
年間の温度差は50度以上。
実に、なんと日本は過酷な自然環境の場所に存在している事でしょう。
この時の驚きを覚えていて、
厳しい自然条件を克服し、この過酷な国で、家を建てるなら、
先人の知恵を参考にした、在来工法しかないと思ったのでした。
元々の家は、大正時代に建てられた、茅葺き屋根の曲がり家でしたが、寄る年波には勝てず、すきま風が酷くなり、急勾配の屋根も傷み、遂に立て替える事に・・・・。
まぁ、そんな訳で、家を新築した時、徹底的な地震対策として、伝統の在来工法を生かしたのでした。
とにかく、可能な限りの地震対策を施した。
地震は、共に揺れ、衝撃を徐々に吸収するのが一番。
力で押さえ込むのではなく、家の骨組み全体で揺れを防ぐように・・・。
所詮、ビルとかではなく、民家ですからね。
勿論、過信は禁物ですが、
とにかく、家が潰れなければ・・・
火災が出なければ・・・
そこそこ助かるでしょう(^_^;)
それから間もなくの、1998年9月3日午後4時58分頃、
岩手山で水蒸気爆発があり、直下型火山性地震発生!
当地で震度6の地震があり、ガケ崩れと地殻変動に襲われた。
岩手山南西地震と命名され、この時の地震噴火で、ハザード・マップが作られ、各家庭に配られた。
しかし幸いにも、建物の被害は軽微で、人的被害もありませんでした。
※設置されたたくさんの地震計のうち、一つは登山口の入り口脇にあって、見る事ができまする。
ここは古くから、地震の宝庫で、その為に、家を建てる時には、先人の知恵を大切にし、
後世へ残せるような家を建てる事が、庶民に出来る最大の地震対策かな・・・
と思うのです。
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