東北関東太平洋沖大地震、経過3
2011年3月13日、宮城県南三陸町の南三陸警察署に半旗が掲げられた。しかし日本で半旗を掲げた所は非常に少数だった------。
連日テレビを見ていても、半旗を掲げている光景は全く映らない。
災害現場の驚愕する災害写真と、原発事故の行方と、大勢の避難された人々の様子。しかし東京の街角の映像を見ても、大きなマンションやアパートのベランダにも、ビルにも、商店にも、ハイカラなフッションビルやショップでも、ましてや個人宅でも、「半旗」はおろか「日の丸」も掲揚されていない様子。
驚天動地の連続でそれどころでは無いのか、それとも個人宅では全く無関心なのか、或いは国旗が無いのか・・・。
停電回復後、盛岡市内の国旗店に電話をすると、小さいマラソンの時に応援するような国旗は売れてしまっているが、大きいものは残っていると言われ、かなり残念だった。
食料やガソリンの確保に奔走しているかもしれないが、せめて「日の丸」国旗だけは掲げる時間があるだろう。
もっと冷静にならなきゃいかんよ
と、内心呟き続けた。
今朝も冷え込んで、雪が降った。
私もベランダに半旗を掲げた。
日本人としての、大きな誇りを忘れないために。
停電復旧直後に、パラボラアンテナを東経166度に向けた。
でも木綿の国旗は大丈夫だった。
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