ノーモア・ヒロシマからノーモア・フクシマへ〜放射能汚染の恐怖は果てしなく続く
恐怖の日───2011年3月12日、福島第一原発1号機と3号機が立て続けに水素爆発。
この爆発で放出された放射性物質は、広島型原爆30個分に匹敵・・・。
8月1日、今も福島第一原子力発電所の敷地内で
一時間当たり10シーベルト以上と、
これまでで最も高い放射線量を計測していると発表。
最高の10シーベルト超計測 排気筒底部で……日テレNEWS24
戦慄の恐怖が蘇る・・・
1986年4月26日、チェルノブイリ原発4号炉が爆発。
その放射性物質は上空の偏西風に乗り、日本にも降り注いだ。
その時の県内での放射線量は最大0.08マイクロシーベルト/時だった。
それ以後、この数字が頭の中に刻み込まれていた・・・。
爆発後の2011年3月13日、0.065マイクロシーベルト/時を記録して以降、空間線量は平常値に戻っている。
しかし福島第一原発の近くは・・・
チェルノブイリの悲劇が真っ先に思い浮かんだ。
停電が解消されて、初めて見たテレビの・・・原発が爆発した時の映像を見て驚いたのは、近くの住民が無防備で通りを歩いている事だった。
無防備都市、福島県浜通り・・・。
映画の題名では無いが、その言葉が真っ先に浮かんだ。何故こんなにも無防備なのか? せめて雨合羽くらい着た方が良いと思った。
チェルノブイリ原発事故の時は、事故から4年目以降に子供の甲状腺がんが急激に増える。
大人の甲状腺がんと白血病も徐々に増加して行く。
内部被曝はこれから始まる・・・・・・
チェルノブイリ原発事故の時、原発の町プリピャチ市から緊急避難した子供と母親の集合写真。
この写真の一番左端の背の高い金髪のロシア人女性が抱えているのが、アリョーナである。
事故から十年後、アリョーナは原爆症に苦しんでいた───。
そしてチェルノブイリ原発から300km離れたミンスクに住むディマは、事故から5年後、劇症性急性白血病で亡くなった───。
原発事故の恐怖は、後になって嵐のように襲って来る事を、私はこの時初めて知った。
連日発表される各地の放射線量・・・。
安全の基準など無いにも関わらず、どこかで線引きをしているのが、疑問でならない。
おかしい 間違っている
安全な原発事故など、どこにも存在しないのだ
それなのにどこに安全な境界線を引こうと言うのか
爆発したら、それで終焉・・・、命の終焉・・・
被爆地の長崎市で8月の「原爆の日」に開かれる平和祈念式典に、原爆投下国の米政府関係者が出席する方向であることが29日、関係者への取材で分かった。駐日公使クラスの列席で調整しているもようで、広島の平和記念式典にも参加する。米国は昨年、ルース駐日大使が代表として広島式典に初めて出席したが、長崎式典への参加は今回が初めてとなる。
米国代表が初めて出席する見通しとなったことについて、長崎市の黒川智夫原爆被爆対策部長は「米国に送付した招待状への回答はまだないが、仮に来られるようなら、被爆の実相をしっかりと見ていただきたい」と話した。
これから福島の子供たちの長い闘いが始まるかと思うと、たまらなく悲しい・・・。
老いぼれて行く無能無策の日本政府の大人のせいで、子供たちはこれから過酷な放射能被曝と戦う事になってしまった。
せめて若い大人達は、全ての原発を停止させる、いかなる努力も惜しまず、何よりも最優先させてもらいたい。
「福島の悲劇を繰り返さないために・・・」
何故人間は、何度も何度も同じ過ちを繰り返すのか
何故日本人は、チェルノブイリ原発の悲劇を忘れてしまったのか
あまりにも忘れるのが早すぎる・・・
東北・関東各地の放射線量の数値はNHKのサイトで携帯から知る事が出来ます。
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