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2011年9月の記事

2011年9月30日 (金)

まだ風邪をひいておりまする

先週からずぅっと、鼻タレが止まりません

しかも毎度の事ながら、寝ても寝ても眠い・・・

そもそも翌朝の最低気温を調べて、多めに着て寝ていたが、それを下回って、5度まで急降下
かくして風邪を引いたのでしたが、それに気づかない中途半端な身体で・・・

一昨日から汗取りに精を出し、ぐっしょり寝汗をかいて、ようやく風邪は退散したようで・・・

しかし依然ボーっとしてまするMedicine


風邪にはビタミンCかな、と思い立ち、急遽買い物に出発
先々週は金曜日にコンビニに行った時には、既にテレビ誌は完売だったので、今日はスーパー内の書店を目指した。
すると残っていたのは「TVガイド」・・・またジャニ系が一人(ノ∀`) アチャー

そして「テレビジョン」が僅か一冊残っていた・・・しかも表紙は


深キョンだBlue
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Kao337

しかも完全誌面制覇だ

ほんとにこの日をどんなに待ち望んだ事か。
ジャニーばっかりだったから、ほんとにウンザリしていたが、やはり人気に翳りか・・・647563_2
と思いきや来週はまた逆戻りだヤレヤレ ┐(´(エ)`)┌クマッタネ


確かに表紙の深田恭子ちゃんは、頬がげっそりして、人相が違ってはいるものの、女性が単独で週刊バージョンの表紙を飾ったのは何年ぶりだ647563_2

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う〜む、やや胸も小さくなったのかな・・・ちっと心配ですが。

とりあえず、次は誰が女優として表紙を飾るのか、その日を待つ事にしよう。


2011年9月19日 (月)

国道改良工事進行中!

盛岡へ続く国道の中でも、とりわけ異質なカーブとなっている生森一里塚カーブ。
日頃、何気なく使っているとそんなに急カーブでもないように思うが、以前からスリップ事故が絶えない場所だった。

このカーブは最初、注意喚起の矢印プレートが連続するようガードレールが取り付けられた。
しかしどうやらそれでも事故が多発したみたいで、カーブの手前に縦長の電光表示が建てられた。
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凍結の危険を知らせる温度計付き
盛岡市から来ると、数キロおきにこの電光温度計がズズーっと続くので、それは凍結注意の目印
しかしそれでも事故が無くならず、道路にスリップ防止の溝が掘られた。
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この道路に溝を掘る方法を、「乾式グルービング工法」と言うようだ。

縦型の溝は横方向のすべり防止や路面排水を速やかに行うことにより雨天時のスリップを防止する効果があるとの事だが、バイクのローリング族対策としても施工されている所があるようだ。


そのカーブまでは殆ど急カーブもなく、見通しも良いので、いきなり道路に溝が現れると、さすがにスピードを落としてしまう。
何しろこの地点は、県内でも有数の極寒地帯で、真冬はマイナス20°以下になり、昼間でも氷点下が続く為、路面は常に凍結状態・・・。時速50kmでカーブに入ると、横滑り間違い無し76507
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冬になるとこんな感じに変貌するのじゃ〜〜スリップマークが出るものの、知らない人は減速しないと危ない


結果的にこれが功を奏して、事故は減ったらしいが、この盛岡から秋田へ抜ける国道の中で唯一の難カーブを、直線化する町の人たちの願いは、長い期間、叶えられる事はなかった──。

道路の直線化を阻んで来た理由は、二つあった・・・。
一つは、このカーブのちょうど左右ある一対の「一里塚」。
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何故ここに一里塚が作られたのかは定かではないが、江戸時代の初め頃には出来たようなので、その頃からこの街道は使われ、長らくこのカーブは改良される事もなく今に至っている。

それなら道路舗装が行われた時に、直線化すれば良かったのにと思うが、この工事を阻む難敵が待ち構えていた──。

それが一里塚に隣接する山だ。


工事が始まった直後は、まず樹木の伐採からスタート

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初めは普通の山肌だったが・・・・・


工事開始から一年。その難敵が姿を現した・・・。
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昨年の秋、ようやく姿を現した岩盤・・・花崗岩層だ。
地層が波打っているのは、ググっと隆起を繰り返した証拠。

この辺一帯は奥羽山脈の麓に位置する為、太古の昔から火山活動が活発で、それに伴って土地の隆起も起こったのだろう。
三陸沖で地震があっても、盛岡とは震度1違うのは、この地が硬く厚い花崗岩の岩盤の上にあるかららしい。その為、岩盤が重くてなかなか揺れない。

今回の東日本大震災では震度5弱だったが建物被害は皆無。盛岡市は震度5強だった。
2008年(平成20年)6月14日の岩手・宮城内陸地震でも被害は無く、隣接する西和賀町で震度5弱、盛岡市で震度4だったものの、ここでは震度3に留まった。
1998年(平成10年)9月3日岩手山の地下を震源とする直下型の岩手県内陸北部地震では、震度6弱を記録したものの、軽傷者9名と比較的軽微にとどまった。これは325年ぶりの岩手山の水蒸気噴火だった・・・国の天然記念物の玄武洞が崩落したのは残念だけど・・・76507_2


江戸時代の土木工事では、この硬い花崗岩の山を削る事は相当難しかった事だろう。それが今日まで続いて来た訳だ。


工事は積雪と共に一旦休止、雪解けを待つ事になったのだが・・・まだ雪残る3月11日、あの巨大地震が発生
重機は全て沿岸被災地に集結したため、このカーブの工事は中断してしまった──。

そして8月初旬、再び工事が再開。

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只今、鋭意、道路幅を広げるための段々削りが進行中

と言う事で、どうやら今年の冬は現在のまま年越しとなりそうだ。
距離にして200メートルくらいかな・・・。直線化の道は遠い・・・。


頑張ろう、岩手県
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2011年9月13日 (火)

人間が自然の猛威を制するなんて出来るはずがない

技術が進歩して来ると、古来からの言い伝えなど、所詮、右から左へと聞き流してしまう・・・それが、人間の本質。
世界一の巨大堤防が出来て、人々は自然を制した気になっていた──。
挙げ句に、病院や学校などの公共施設が、海岸沿いに林立し始めた──。

悪夢の3.11が来るまでは──。
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東日本大震災で津波をかぶり校舎が使えなくなった小中学校は岩手、宮城、福島3県の56校舎にも上った。

このうち4割近くの21校が、津波に備えた避難場所を、災害時のマニュアルや避難計画に明記していなかったことが朝日新聞の調べでわかった。

更に、21校のうち11校は児童生徒が校内にとどまり、体育館で津波に襲われた学校もあった。
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壊滅した陸前高田市の沿岸地域。

1階以上が水につかり、校舎が使えなくなった公立小中学校は56校(岩手20、宮城31、福島5)。
宮城県石巻市の市立大川小で、教員の避難誘導中に津波にのまれて児童74人が死亡・行方不明となり、同県南三陸町の戸倉中でも生徒1人が死亡した。
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これらのうち津波被災21校(岩手5、宮城15、福島1)が、避難場所を明記していなかった。
うち11校は校舎の上階や屋上、体育館などにとどまって、津波の襲来を受けていた。いずれも宮城県の学校で、校舎や校庭が宮城県沖地震での上階への浸水を想定していない「避難所」に指定されていた。

結果的に、校舎は使い物にならなくなった──。


もはやこれは各自治体だけの防災対策だけでは、太刀打ち出来るものではない。

津波には、基本的に『より高台へ、より遠くへ』と言う先人の教え以外に、歯が立たない。


今日13日になって、中川正春文部科学相は閣議後の記者会見で、『東日本大震災の津波被害を受けて高台に公立学校を移転する際の土地取得費について「実質的に国が100%補助することで政府内の合意を得た」と述べた。』
2012年度予算案に費用を盛り込む方針

中川文科相は「地域コミュニティーを再興するには、学校をどこに置くか行政が意思を早く示すことが必要だ。土地取得費の3分の2は国庫補助、残りは地方交付税化する方向で具体的な中身を詰めている」と話した

公立小中高校が被災した場合、元の場所で再建する際は建設費のほぼ全額を国が実質負担する仕組みがある。しかし高台など別の場所に移転する際の土地取得費は補助の対象外だった。文科省は別の場所に校舎を建てる際の費用は補助対象にする方針を示している。

これは正しい選択だろうと思う。

どんなに強固な校舎を建てても、果たして津波の被害から子供たちの命を守れるのか

今一度、沿岸自治体は再考の時が来ている──。


更に積み上げられた瓦礫(がれき)の処理が混沌として、一向に進まないが、これらをそのまま押し潰して、そのままコンクリートで固めてしまうのも一つの方法かも。

防波堤は呆気なく破壊され、津波が市街地に流れ込んで来たが、地形の起伏によって津波は方向を変化させている。弱い場所、より低く、川沿いの場所へと流れ込んで行った。
そこで砂防ダムのように、瓦礫を積み上げ、互い違いに配置する事で、津波の衝撃を弱体化させ、威力を抑える事にはならないか??

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ちよっと雑に作りましたが、まあだいたいこんな感じで、段違いに津波衝撃緩衝ダムとして瓦礫を使うって言うのはどうでしょう?
わざわざ瓦礫を片付けるにもお金が掛かる事を考えると、3〜5メートルに積み上げて、崖の工事に使うような方法でコンクリートで固めてしまえば・・・・。

これによって水産施設は守られ、小中学校は高台へ移転して、町を安心して復興する土台になればいいなあ・・・と考える訳ですよ。


2011年9月10日 (土)

うなされる史上最恐の映画は・・・「サンダ対ガイラ」


ブログネタ: 今まで観た中で、一番怖かった映画は?参加数

正式なタイトルは「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」ですが、タイトルの通り、これは東宝が作った数多の怪獣映画の中の一つ。
1965年製作、1966年公開でしたが、これを見た当時はまだ小学生でした。
町にはまだ映画館があり、娯楽と言えばテレビと映画くらいしかなく、新作が封切りになるたびに、町の映画館へ自転車で通っていました。


今思えば、この映画は観るべきではなかったと思っていますが、当時は大映のガメラと東宝のゴジラのような感覚としか思っていなくて、観てしまいました・・・


そしてその夜、私は夢の中で、ガイラに襲われ、◯◯◯◯しまう訳です76507

ストーリーは調べてもらうとして、この映画を観た人たちの感想は・・・・・・
1) 東宝特撮映画(怪獣)のベスト1はやはりこの作品。

2) ゴジラの東宝が海外と提携して製作、これほどリアリティ重視の作品は無い。

3) 子供のころ見て、夜トイレに行けなくなった傑作。

4) 子供は泣き出すでしょう。

5) 怪獣映画史上類を見ない残虐なリアリティ映画。

等々、ゴジラやガメラ、モスラやガッパ、大魔神など数多い日本の怪獣映画の中で、とりわけこの映画は異質で、子供が観たら絶対悪夢にうなされる事でしょう。

まあ1965年製作なので、セットなどは現在に比べれば陳腐に見えたり、大人には「ふうーん」と言う程度かも知れませんが、例えばアメリカの「ジュラシック・パーク」などの映画では、決してこのような残虐なシーンは描けないでしょうし、ゾンビやスプラッター、ホラー、お化けなどでも、これほどリアルに人間が◯◯◯◯◯シーンは無い。

それだけに、余計、恐怖が増大してしまいます。



フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ
製作年: 1966年 / 監督: 本多猪四郎

『この映画は、決して、子供や女性と一緒に観てはなりません』

その日の夜から、窓の外に、ガイラがいるのではないかという恐怖に脅える事になるかも・・・

2011年9月 3日 (土)

今年の天気は2004年と似てるかな

ノロノロ台風が日本を縦断しているが、新潟・福島豪雨と言い、酷暑の夏と言い、夏休み前の台風と言い、とっても平成16年と似てないか?


しかも次ぎの台風が、遥か南で発生したようだし…


このパターンで行くと、今後5個の台風が上陸する可能性があるかも。

河川の改良工事が進んだと言っても、これまで以上に河川に住宅が近づいて建っているから、被害は減らない。


このまま同様の天気が続くと、平成16年は年末年始は大荒れだったので、今年も荒れなければいいが…

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