国道改良工事進行中!
盛岡へ続く国道の中でも、とりわけ異質なカーブとなっている生森一里塚カーブ。
日頃、何気なく使っているとそんなに急カーブでもないように思うが、以前からスリップ事故が絶えない場所だった。
このカーブは最初、注意喚起の矢印プレートが連続するようガードレールが取り付けられた。
しかしどうやらそれでも事故が多発したみたいで、カーブの手前に縦長の電光表示が建てられた。
凍結の危険を知らせる温度計付き
盛岡市から来ると、数キロおきにこの電光温度計がズズーっと続くので、それは凍結注意の目印
しかしそれでも事故が無くならず、道路にスリップ防止の溝が掘られた。
この道路に溝を掘る方法を、「乾式グルービング工法」と言うようだ。
縦型の溝は横方向のすべり防止や路面排水を速やかに行うことにより雨天時のスリップを防止する効果があるとの事だが、バイクのローリング族対策としても施工されている所があるようだ。
そのカーブまでは殆ど急カーブもなく、見通しも良いので、いきなり道路に溝が現れると、さすがにスピードを落としてしまう。
何しろこの地点は、県内でも有数の極寒地帯で、真冬はマイナス20°以下になり、昼間でも氷点下が続く為、路面は常に凍結状態・・・。時速50kmでカーブに入ると、横滑り間違い無し
冬になるとこんな感じに変貌するのじゃ〜〜スリップマークが出るものの、知らない人は減速しないと危ない
結果的にこれが功を奏して、事故は減ったらしいが、この盛岡から秋田へ抜ける国道の中で唯一の難カーブを、直線化する町の人たちの願いは、長い期間、叶えられる事はなかった──。
道路の直線化を阻んで来た理由は、二つあった・・・。
一つは、このカーブのちょうど左右ある一対の「一里塚」。
何故ここに一里塚が作られたのかは定かではないが、江戸時代の初め頃には出来たようなので、その頃からこの街道は使われ、長らくこのカーブは改良される事もなく今に至っている。
それなら道路舗装が行われた時に、直線化すれば良かったのにと思うが、この工事を阻む難敵が待ち構えていた──。
それが一里塚に隣接する山だ。
工事が始まった直後は、まず樹木の伐採からスタート
初めは普通の山肌だったが・・・・・
工事開始から一年。その難敵が姿を現した・・・。
昨年の秋、ようやく姿を現した岩盤・・・花崗岩層だ。
地層が波打っているのは、ググっと隆起を繰り返した証拠。
この辺一帯は奥羽山脈の麓に位置する為、太古の昔から火山活動が活発で、それに伴って土地の隆起も起こったのだろう。
三陸沖で地震があっても、盛岡とは震度1違うのは、この地が硬く厚い花崗岩の岩盤の上にあるかららしい。その為、岩盤が重くてなかなか揺れない。
今回の東日本大震災では震度5弱だったが建物被害は皆無。盛岡市は震度5強だった。
2008年(平成20年)6月14日の岩手・宮城内陸地震でも被害は無く、隣接する西和賀町で震度5弱、盛岡市で震度4だったものの、ここでは震度3に留まった。
1998年(平成10年)9月3日岩手山の地下を震源とする直下型の岩手県内陸北部地震では、震度6弱を記録したものの、軽傷者9名と比較的軽微にとどまった。これは325年ぶりの岩手山の水蒸気噴火だった・・・国の天然記念物の玄武洞が崩落したのは残念だけど・・・
江戸時代の土木工事では、この硬い花崗岩の山を削る事は相当難しかった事だろう。それが今日まで続いて来た訳だ。
工事は積雪と共に一旦休止、雪解けを待つ事になったのだが・・・まだ雪残る3月11日、あの巨大地震が発生
重機は全て沿岸被災地に集結したため、このカーブの工事は中断してしまった──。
そして8月初旬、再び工事が再開。
只今、鋭意、道路幅を広げるための段々削りが進行中
と言う事で、どうやら今年の冬は現在のまま年越しとなりそうだ。
距離にして200メートルくらいかな・・・。直線化の道は遠い・・・。
頑張ろう、岩手県
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