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2011年10月の記事

2011年10月30日 (日)

改めて人として

考えないようにしているが、誕生日を迎えると、心は沈鬱の一途を辿ってしまう。
もはや人として、男として、用無しな自分を再認識してしまう。

分かっているさ。そんな事、遠くの昔に、病気になった時から、分かっていたさ。
人としての価値なんか、微塵も無い事。
それでも何故かこうして生きてしまって・・・。

そりゃ、人間3度も意識不明の病に倒れれば、否応なしに、生きている事に価値がなくなるし、自分だけでなく、他の誰からも必要とされず、ただ朽ち果てて行くのを待つ身なのさ。
しぶとく生きてしまった事を悔やんでみたり、何故、冥界の入り口から3度も戻って来たのか、なんて問いただして見ても、分からないものは分からないし、出来ない事はどんなに努力しても出来ない。


中学の時、突然、自分の誕生日が1日違っていたと知り、
それじゃ小学生の頃まで毎年、誕生日会をしていたのが、無意味だと知って・・・。

昭和に生まれ、戦前・戦中のどくさくでもないのに、なんで誕生日が1日違うんだ とぼやいた。
小学生の時の通信簿も、卒業証書も、意味が無い。


そのせいかどうなのか分からないが、
成人式の案内は来ないまま、いつの間にか二十歳を過ぎていた。
その間、自分が写った写真は、僅かに2枚。それ以外の歴史はどこへ行った??



そして今は、何でも金の時代。

障害者になって収入も限られ、誰にも相手にしてもらえず、
それは仕方ないとして、おはじきのように、番の外へ弾き出され、邪魔者扱いの日々。

働けば倒れ、入院。
退院して働けば、また倒れ、入院。
人生の三分の一を寝て過ごし、更に三分の一を病院で過ごし、
あとただ目立たぬよう暮らし、
死んで行くのみ。

世の中には、高校生と出会い系サイトで知り合い、ホテルで合体。そして殺してしまったり、
同居中の女性の子供を蹴って、死亡させたり、
首を切断して、捨てたり、
どういう訳か、口先の上手い男は、それなりに世間を渡り歩き、のうのうと暮らし、
金のある奴は、妻を放置しキャバクラ通いの挙げ句、離婚・・・。


そういういい加減な男ばかりが、モテて、甘い汁を吸い続ける。

まぁそれも賢い生き方なのか?
そういう暴力的な生き方の方が、賢い生き方なのだな、今の世は。
野心の無い人間は、雑草以下なのだな、このご時世は。

全ては、金。金が全て。金を持っている者が、全ての支配の頂点に立つ。
そういう男が女性から気に入られる、大前提なのだな。
それが現実か・・・。

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あの日、人々はほんの少し優しくなったと思えた。
しかし、それは買い被りだったようだ。
日本人は少しも優しくなっていないし、自分の事しか考えていなし、障害者は人間として扱われない。

2011年10月25日 (火)

免許更新

昨日、意を決して午後から免許更新に行ってまいりました。
5年ぶりというので、更新場所も別な場所に移り、多少、ドキドキ。

しかしさすがに大勢の人が居て、窓口の方も親切で、順調に手続きを完了

無事故無違反5年以上・・・って言われて、さて自分の最後の違反はいつだったのかと、記憶をたぐり寄せて見ると、かれこれ25年くらい前のスピード違反か?
50キロ制限の国道を60キロで走って、罰金

にがい思い出です


さて今日は、ブログネタでお一つ。


ブログネタ: 水道水、そのまま飲んでる?参加数

水道水を飲み水としては使っていませんね〜。
基本的には市販のミネラル・ウォーター。薬を飲むときは全て、「天然水」を飲んでます。
ご飯を炊く時は、「東レ」の大型浄水器を通した水道水で、洗濯、お風呂は井戸水。

地下水をポンプで吸い上げ、水道配管とは別に配管して、トイレや洗車にもこの井戸水を使っています。
普段の水分補給は、お茶と牛乳とゼロ炭酸・・・只今はハウスのC1000カロリーゼロを愛飲中

汗をかいた時には、ポカリスエットの低カロリータイプ「イオンウォーター」。
「東レーヨン」の浄水器はかれこれ18年くらいになります。
キッチンの下の配管の間に取り付けるタイプで、2年に1回、新品カートリッジと交換してます。
ランニング・コストは安いと思います。


2011年10月16日 (日)

「地震学の大きな敗北」…地震学者は常に地震が起きた後に考える

東日本大震災での巨大地震を受け、日本地震学会は15日、特別シンポジウム「地震学の今を問う―東北地方太平洋沖地震の発生を受けて」を開いた。予測できなかったマグニチュード(M)9.0という巨大地震を想定できなかったのは「地震学の大きな敗北だ」など、学会では異例の自己批判が相次いだ。

地震と津波がもたらした甚大な被害は、被害額約16兆9000億円以上、14日現在の死亡者数1万5824人、行方不明者3847人。建物の全半壊がおよそ29万9000戸、一部損壊60万戸以上。

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あの日から7ヶ月…
地震学者は毎回、巨大地震が起こると、地震発生のメカニズムや地震の揺れの伝わり方の分析ばかりを行う。そして毎回、地震は予測出来なかったと屈服するのだ。

地震や津波の災禍から人々を救って来たのは、地震学者ではなく、土木建築学や文化史跡、物理的力学に基づくたゆまぬ経験の積み重ねである。

地震学者がいくら研究や議論を交わしても、彼らは土木や古代史や建築学には全くの素人だ。
地震は、いつ、どこで、どのくらいの規模で起こるか予測がつかない。それなのに多額の予算を貰い、研究しているのは数値にばかり頼った研究でしかない。

数値に頼った研究が、人知を凌いだと思い込み、祖先の教訓に耳を傾ける事なく、原発を作ってしまった。
福島第1原発が大津波で壊滅した時、すぐ近くの女川原発は極めて正常に停止していた。福島第1原発と女川原発の被害の違いは、設計者の独断による、地盤のかさ上げだった。


「低くては万が一の時浸水する可能性がある」と言う、建設開始当時の現場の工事責任者の判断が、女川原発を最悪の事態から救ったのだ。


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日本は古代の頃から、巨大地震が幾度も日本の大地を揺るがし、大津波は沿岸各地に襲来していただろう。
私たちの祖先は、千年以上も前から、その悲惨な大災害を繰り返さないように、後生の人々に言い伝えて来たはずだ。

『つなみてんでんこ』

地震学者が誰一人として知らなかった先祖代々語り継がれた教えは、確かに巨大地震津波から人々を救った。
代々の伝承が、データや数字、統計だけに頼っていた地震防災より、遙かに勝っていた・・・。

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東日本大震災で記録したM9.0でも、東北地方沿岸の建物には、阪神淡路大震災のように無残に押し潰されるという被害は、殆ど出なかった。民家でも十分な耐震構造になっていたのだ。

──しかし、津波の言い伝え(伝承)を聞かなかった人は、高台へ家を建てる事もなく、先祖からの教訓を無視して生活して来た。
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予測のつかない自然災害に、昔の日本人はどう立ち向かって来たのか
地震学者がこれからしなければならない事は、地震の予知ではなく、地震や津波が起きたらどうするのか?? と言うシンプルな疑問に答える事ではないのか。

津波警報が出て、間一髪、津波から逃れられたとして・・・その後どうするのか? 家は流され、電気は止まり、避難所生活が始まる・・・。しかしこれまでの防災訓練は、ただ逃げるだけに終始していた。
逃げて、助かったあとの事を全く考えて来なかった。

避難所の場所、避難生活に必要な物資は用意出来ても、家は流され、住む場所は無い。そんな事態になる事は、当然、避難訓練をすれば分かる事ではないか
命からがら逃げる、その為の避難訓練ではないのか
振り返ったとき、そこに我が家は無い・・・
何故これまで仮設住宅の事を訓練に入れて来なかったのか
何故、通信の確保の訓練をして来なかったのか
何故、流された家の替わりをどうするかを考えて来なかったのか

避難訓練は遊びではないはずだ。生きる為の訓練ではないのか。
避難したあとに襲いかかる苦難の数々に、どう立ち向かうのか、を何故今まで考えて来なかったのか


それが地震学者の仕事ではないのか・・・。

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巨大地震は又必ずやって来る。
沿岸には大津波が必ずやって来る。
そして復興には、途方もない労力と時間が必要になるのだ。



世界一の防潮堤を建てようが、免震構造のビルを建てようが、地震や津波は容赦なく襲いかかる。
歴史が、そう私たちに教えているのだ。
先人たちが私たちに教えているのだ───。


地震学者は今こそ、真剣に、昔の人の言い伝えに耳を傾ける時ではないのか。
そうしなければ、「地震学の敗北」はいつまでも続く・・・。




9月初め。
地元、盛岡の新聞社から、写真集「ありがとう自衛隊<勇士たち>」が出版され、購入した。
自衛隊岩手駐屯地の自衛隊員の活動記録集だ。

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大規模な災害が起こると、私たちはいつも自衛隊のお世話になっている。去年の冬の山陰地方を襲った大雪では、国道に閉じ込められた人々を救う為、自衛隊が雪かきをした。
勿論、屋根の雪降ろしや、遭難者の救助、地震の時の救助や、崖崩れ、土砂災害の時の土砂の取り除きなども自衛隊なしでは考えられない。

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今回のような未曾有の大災害では、陸・海・空自衛隊が総動員された。

自衛隊は何も災害派遣の為に、日頃訓練している訳ではないが、いつしか自衛隊の役割の一つに災害救援が当たり前のように日常化している。

もし東京という大都市で、大災害が発生したら、果たして自衛隊は足を踏み入れるのだろうか・・・??
がれきで埋まった道路を自衛隊の車両は走れるのか?
崩落した高速道路や、降り積もった高層ビルの塊を越えて、救助に行けるのだろうか?


しかし思ったのだ。
この写真集を見ていると、たとえいかなる困難があろうとも、人々を救う──という目的のためなら、自衛隊は動き、空を舞い、先へ進むと。

それが自衛隊員の、「予期せぬ勇気」なのだと・・・。


2011年10月15日 (土)

毎週風邪を引いてます

油断、油断の日々。
気温の変化に慣れたつもりでいると、いつの間にか風邪を引いて、やたら眠くなる。

オムロンのハンディマッサージャーで、寝ながら筋肉痛の足をマッサージしていると、つい寝てしまい、結果的にふとんもかぶらず風邪を引いている
気合いもどこへやら、ただもう蓄膿がのどに落ちるという悪循環・・・


しかしフラフラでも免許の更新が迫って来たので、
去年の夏以降、1年半以上経って、今日やっと理容室に行って参りました。
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何んだかたくさんサインポールが立ち並んでいますが、1軒ですPuti_face15

この間、散髪屋さんには全く行っておりません。
全て、自分でハサミでバサバサっと切って、そのまま
5年ぶりの更新なので、ぼさぼさ頭では不味いと思い、行って参った訳で、実に久しぶり・・・
爽快じゃSun2


2011年10月 7日 (金)

偏っていると思うこと

おととい帰省してきた妹と姪に連れられて、平泉に行って来た。
そうだ、世界遺産に登録された平泉だ
足の悪い母は車椅子で同行した。

高速道路にETCが採用され、無料化実験から大震災を経て、半無料のようなややこしい状態になってから、初めての高速道路

同じ県内にありながら、遙か遠い昔に行って来たような記憶があるだけで、平泉も中尊寺も記憶が無い。しかも意外と遠いし・・・。

そして金色堂に行って見たものの、さほど関心もなく、一番目を引いたのは、自動販売機だった。

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おお コーラの瓶の自販機ではないか
早速、飲んでみると、うむむ・・・この味、懐かしい味・・・
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昭和の味がする。

平泉・金色堂・中尊寺と、お寺ばかりだが、お寺にも興味が無いし、歴史や奥州藤原氏にも興味がないので、さてどうしたものかと考え、てっぺんにあるそば屋で昼食を
ちょうど「めかぶそば」があったので食べて見ると、意外や意外・・・マズイ とにかく味が薄い

これだと近くのドライブインのめかぶそばの方が、別格に美味い
人は報道によって誘導されると、あのそばでも美味しいと感じるのだろうか??


それに車椅子を押して行くには、参道が急だし、金色堂の周辺も、ゴツゴツとした石があって、車椅子では前に進めない。
今のお年寄り達は元気で、観光バスがひっきりなしに来ていたが、あの状況では杖をつくのも難しい。
あのままでいいのか

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少し離れた毛越寺にも行って見たが、日頃運動不足の私は足が痛いし、母も車椅子が辛そうなので、妹と姪だけが、庭園まで歩いて行った。

都会から来る人や、歴史好きには喜ばれるだろうが、何事も体力勝負。
足腰の弱い人が簡単に行けるような環境には程遠い・・・


そしてこの3日間、両足は湿布のニオイに包まれてしまった(´;ω;`)ウウ・・・


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