2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月の記事

2012年3月31日 (土)

アナログテレビ放送終了

難試聴に悩まされて来たアナログ放送も、あと少しで完全に終わる。




うちではデジタルTVは買ってないので、アナログテレビをそのまま使っているが、どんなに引い気目に見ても格安タイプの液晶テレビより映りは良い。

画像の輪郭のボケが無く、キリっとしているし、色彩のムラも無くNTSCの色信号の再現性において、高彩性を十分満たしている。



ISDB-Tは日本独自の方式なのでRGBの再現順位の異なるPALより、マッチしているのだろう。




それはさておき、経済成長とは実に惨い。


自動車なら、年代物でも大事に乗っている人もいるし、中古市場というのもあるが、アナログテレビの末路は…破壊のみ!

まだ使える物をゴミとして葬り去り、国土を汚染してゆく。
経済の為に大量のアナログテレビが廃棄された。

資源として利用されたのはほんの僅かで、あとは一体どこでどう処分されたのか?



そしてアナログ終了と共に、パナソニック、シャープ、ソニーはテレビ事業から撤退した…。


皮肉なものだ。

あれほどデジタル放送を高らかに謳い上げた家電業界が、瞬く間に没落してしまうとは……



次は一体どの産業が消えるのか?
戦後の経済を支えたのは、石炭採掘産業だったが、安い輸入品に押され閉山…。

やがて原油に依存し大都市部での大気汚染が深刻になると、地方に原発を建設。




それが原発全停止で、再び化石燃料に依存する羽目になり、再び都市部は深刻な大気汚染と、燃料の高騰で電気代が上がろうとしている。



もう間もなく、電気の奪い合いが始まる…
電力を制する者が経済を支配する時代が始まるのだ。




2012年3月26日 (月)

迷子のカタログ

PCが壊れて10日が過ぎた。


修理を断念し、電源を強化したPCに買い換えようと、メーカーにカタログ送付を頼んだが、待てど暮らせどカタログが来ない。

どこぞへ迷子になったのか…はたまた手違いか?
普通の人なら10日も待たないかもしれないが、依存率の割合い低い我が身にすれば、此れくらいやむを得ないだろう…。


郵便番号と名前だけでも届く土地なので、これは言わゆる「ヒューマンエラー」なのだろう。

改めてカタログの送付を依頼した。まあ壊れても下取りしてくれると言うので、PCリサイクル料を払うよりはマシでしょう…



これまでのような使い方の場合、どうやら電源容量不足、メインメモリ不足、グラフィックメモリ不足だったようだ。


CPUはDualcore3.0GHzだったが、それ以外が不足していた。


それに補償は3年は欲しい……




2012年3月21日 (水)

皮膚科と精神科

さすがに二ヶ月も風邪をひいて、鎮咳剤と抗炎症剤を飲み続けると、乾癬の症状も和らぐらしく、塗り薬もギリギリ今日までもった。

午前に皮膚科の受付をすれば、昼には精神科も受診できて、早く帰れると思っていたが、その考えは甘かった…。


祝日開けで皮膚科は、しこたま混んでいて、
ついウトウト1時間も椅子でうたた寝してしまった…(^。^;)


まっ結局、殆ど最後。
光治療をして、処方箋を出してもらい、
精神科へ急いだ。

こちらは珍しく直ぐ呼ばれ、精神福祉相談員訪問の話をして、
それ以来、気持ちが安定している事と
パソコンが壊れたので、再び入院生活のような、情報途絶生活に入り、
俗世間の詰まらないニュースを遮断した事で、のんびりしている事を話した。

情報が多すぎると言うのは、ここでは殆ど役に立たない。

東京の出来事は、知らなくてもいい事ばかりだし、
ここまで到達するのに、かなりの時代差が必要だ。


慌てる事はない。

帰りにシマムラに寄って、益若つばさのスパッツと、佐々木希のレギンスなどを購入♪
乾癬の悪化を防ぐアイテムとして、これらは欠かせません。

でも加藤夏希と佐々木希って、共に秋田出身がレギンスのパッケージになっているって、今日初めて知った…


不思議な縁だねぇ~

2012年3月19日 (月)

続・新品パソコンも壊れる時は再び壊れる

去年5月に壊れて無償修理に出したパソコン…
再び電源ダウンで壊れてしまった…
新品購入から1年半と言うスピード故障に、さすがに凹むな~

2012年3月16日 (金)

ペースメーカー定期検査

ちょうど1年前、震災直後にペースメーカーの定期検査を受けた時は、
病院の廊下は真っ暗だった‥‥


本院の常備ぺーシング検査機器が、循環器センターに貸し出され、
暗い廊下の椅子に座り、業者が持ち込んだ1台で、順番に検査をすることになった。


あれから1年が経ち、無事に定期検査が終わった。
前回会えなかった、受付の「デコっぱち姉さん」も復帰していて、診察室が3階になってから初めて会った。
検査結果は良好で、電池もまだまだ大丈夫 次回、再び1年後の予約をして来た。


医療技術の進歩は凄いなあ
ペースメーカーや埋め込み型除細動器(ICD)を含めた、
体内埋め込み型不整脈医療機器は、
2012年2月、第5世代と言われる「デュアルチャンバータイプ」が登場したと言う。


心不全などの突然死の原因といわれる心室細動に極めて有効なだけでなく、最近は高度なペーシング機能を備えていることから、「抗不整脈装置」と呼ばれるようになったらしい。
しかも最近のものは小型で、重量も20~30g程度。小柄なら20g、大柄なら30gとの事。

Photo_22012年製ICD/PM
(Made in USA / Made in Germany)


しかもこれまでMRI(磁気共鳴画像装置)での検査が禁止されて来たが、
最新のペースメーカー(PM)や埋め込み型除細動器(ICD)に於いては、心臓電気生理学的モニタリングを行い、準備を行えば、極めて安全にMRI検査が可能であるという。

ペースメーカーを埋込んだ患者でも、脳などのMRI検査が出来るような製品が登場したと言う。
この凄い進歩にはやはりそれだけ心疾患の患者が多いと言う事なのだろう。

2009年以前に製造された製品を使っている人は、これまで通りの注意が欠かせないが、それ以降の製品は、携帯電話も空港検査も影響なく使えるという事も分かって来た。
1テスラ以内の磁気なら安心しても良いという話。
そういう情報はもっと欲しいものだが、どうもネット上には、古い情報が噂として今も語られている事から、余分な心配をしてしまう。

医者でも無いのに、呟いて‥‥それが勝手に一人歩きしているようだ 困ったものだ




120316_124101
今日はとても良い天気

半年ぶりに山に行って来た。
網張から見下ろす故郷の景色。

120316_124201

周囲を山々に囲まれた盆地‥‥。
治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)の「源平の合戦」の6年後に開村されという、この盆地の町。

120316_115801
正月からずっと風邪気味で、最近までグッタリしていてお参りも出来なかったが、
今日、道祖神社に足を運んだ。


今も、祭り囃子が聞こえて来そうだ‥‥








2012年3月10日 (土)

未来からの訪問者

精神福祉相談員がやって来た。

これまで両親が先に話しを聞いていた為、私の所まで情報はやって来なかった。
自治体からのお知らせも、勝手に必要無いと思われ、ゴミ箱へ

おかしな話ではあった。
障害者年金をもらっている本人に、自治体から直接確認する事がないというのは、
ほったらかし行政・・・それでいいのかぁ・・・と不思議していたが647563


近い将来独りになった時、私には頼れる人がいないし、近所の人と会った事も無いし、友人もいない。
こうなると、SOSはどこへ発すればいいのか647563_2

その前に意識不明になったら、多分誰にも発見される事はない。
救急車を呼んだ事はあるが、自分で救急車を呼んだ事はなく、すでに意識不明だった・・・。


今回の訪問者は、そんな未来の不安を第三者に知ってもらう初めてのチャンスとなった。

行政に書類上の障害者だけで処理されてしまうのは、殊の外、恐ろしい。


今回の聞き取り調査で、はっきり言わせてもらった。
私は寂しいからと言って、自殺なんかする気は更々ない
あくまで130歳まで生きるつもりでいる。

精神障害者というと、リストカットやOD、希死念慮、精神病院に入院、アルコール中毒、借金、PTSD・・・等々、悲観的行動をしやすいと思われがちだが、
私はそれらを一度もした事がない。
むしろその逆。

いじめられたら、「逃げる」。DVなら「逃げる」。
どうなるか分からないが、とにかく「逃げるが勝ち」。
悲観に嘆くのは、その後にしようと思っている。


私は、自ら死ぬ気は毛頭無いので、精神福祉相談員には、生きるための手助けをして下さい、
とお願いした。




2012年3月 6日 (火)

風化

今の子供たちは幸せなのかもしれない。

私の子供の頃と違って、物は豊富にあり、今回の災禍も誰かが後生に伝えてくれるだろうから。


去年の東日本大震災と太平洋岸巨大津波、原発事故・・・今年の豪雪と、自然災害の猛威に晒されながらも、過去の教訓に従った人達と、その教えを守った子供たちは、難を逃れた。
説明しなくても、たくさんの映像記録が残されもした。

しかしそれもやがて風化し、伝承は途絶え、同じような惨禍を繰り返すとしたら?


また何十年後には、日本人は再び忘れてしまうのだろうか?


記憶は楽しい事によって書き換えられ、忘れ去られ、風化してゆく。
今年の豪雪は「平成18年豪雪」に匹敵する大雪と言われているが、もう人々は忘れている・・・・・。
これより更にひどい、「昭和38年豪雪」があった事を・・・
私と同じ年代の人は知っているはずだ。

「平成18年豪雪」の死者・行方不明者は152名、負傷者2136名、倒壊家屋4713棟だった。
しかし私が小学生の時に体験した、「昭和38年豪雪」では死者228名、倒壊家屋6005棟になった。


我が家は大正時代に建てられた、典型的な茅葺きの大屋根の家で、「昭和38年豪雪」の時は屋根から落ちた雪で1階部分が埋まった。
玄関から雪のトンネルを掘って、出入りしていたし、3階の窓から雪にダイビングしても怪我もせず、玄関から出るより早いので、毎朝、3階から飛び降りて小学校に通っていた。

当然、道路の雪かきなどされる事もなかったので、我が家には馬が一頭いて、その馬に馬そりを引かせて買い物に出かけていた。
馬そりのそり部分には鉄板が打ち付けられていて、雪の上でも、土の上でも平気で引っ張っていた・・・。


家の庭には太い送電線用の柱があって、庭の上を6本の高圧電線が走っていた。
当時は、送電線は出来るだけ真ッすぐ引くために、農家の庭に電線が通っているのは当たり前。

大人達が総出で、庭の雪かきをすると、こんもりとした丘になって、小学生の私はスキーをして遊んでいた。

大屋根の茅葺き屋根の家は、曾祖父が部落の人の力を借りて建て、その大黒柱は桜の大木をそのまま使い、その胴回りは18 寸角(約55センチ)で、両手が回らないくらい太い。
その他の部材も全て欅の大木の10寸角(約30センチ)の柱と梁(はり)が使われていた。

曾祖父はその更に祖父から、自然に逆らってはならぬと言われ、それは私の父にも伝えられたと言う。
今の家は、その大正時代の古家に使われていた木材をそのまま使っている。




母が言うには、
私は曾祖父と南向きの縁側に座り、目の前に広がる田んぼの稲穂に群がるスズメに、
拍子木を打ち鳴らし、追い払っていたらしい。

そして曾祖父が話す昔話を聞いては、その話を覚え、曾祖父に話して聞かせていたと言う。

私が幼稚園の頃の話・・・・。
確かに柱には拍子木がいつもぶら下がっていたが、昔話の事は覚えていない。


当然、我が家には曾祖父と一緒に映った写真など一枚もないし、
自分の小さい頃の写真も一枚も無い。
あるのは小学校の入学式の写真、一枚。

私は小学校の時どんな顔をしていたのか?
中学生の時、どんな顔をしていたのか、写真は一枚も無いので分からない。


しかしそれでも私は覚えている。

豪雪の事、十勝沖地震の時に小学校の校庭に地割れが出来た事、日本海中部地震で津波が発生し、たまたま男鹿半島に遠足に来ていた子供たち100人が津波にさらわれ、命を落とした事、秋田駒ヶ岳が噴火した事、全日空機と自衛隊機が空中衝突した夏の日の事、母の実家がダムに沈んだ日の事・・・。

何もかも鮮明に覚えている。


そして曾祖父も母も父も、その教訓の数々を私に言い伝えてくれた事を、今も覚えている。


年老いた人には、言い残す責任があるのだ。
子供や孫に、伝えなくてはならない事がたくさんあるのだ。


何故、誰もが直ぐに忘れる
何故、子や孫のいる人は、伝えないのか

どんなにテクノロジーが進化しても、ミスは起こる。
ヒューマンエラーという人為的ミスは決して避けられない。
人間のためのテクノロジーは、結局、人間でなければ制御出来ない。
そこにエラーが起こる。

そのヒューマンエラーに立ち向かえるのは、先人の知恵と教訓しかない。
それを忘れたら、原発事故のような重大な設計エラーが起こると言う事を決して忘れてはならない。




もしかしたら原発事故で故郷を追われた子供たちは、一生涯、この事を忘れないだろう。
しかし忘れないだけではダメだ。
次の代に言い伝えるのだ・・・決して同じ災禍を繰り返さない為に、君たちが言い伝えるのだ。
その責任は重い。
この苦難を一生覚えている事は、苦痛にもなろう・・・だが、風化してはならない。今、経験している事を後生に残せるのは、今の子供たちしかいないのだから。



2012年3月 1日 (木)

あきらめと妥協

以前飲んでいたアナフラニールを3日分。
メデポリンを1週間分もらって来た。


テレビをつけてもまだ音は聞こえない。
この2日間、起きているのは食事時ぐらいで、
ただひたすらコタツで、アルマジロのように丸くなって眠っていた。


忘れもしない・・・19年前の冬。
今回と同じように、意識がもうろうとする中、
病院からようやく帰った深夜から、
ただひたすら眠り続けた・・・。


小学生の時の冬のあさ。
学校までの道のりを長靴で歩いて通っていた。
しかし冷たがり屋の自分は、
まだ誰も来ていない教室で、足の冷たさに泣いてしまった。


当時は薪ストーブで、
用務員のおじさんが順番に教室を周り、
ストーブに火を起こす。


泣いていると、用務員のおじさんが教室に入って来て、
「今、火つけるがらな」
と言いながら、新聞紙に火を付ける。
木っ端に火がつくとようやくストーブが暖かくなる。

おじさんは長靴を見て、
「ヒビかはいっているなや」
と言った。
その当時はゴム長靴は高くて買えなかった。
安い塩ビニールの長靴は熱に弱く、
すぐヒビ割れが入った。
靴の中敷きも染み込む雪で直ぐ濡れるから、
余計冷たい。


学校や人前で泣いたのはその時が初めてだった。
でも19年前、
悲しくて悲しくて救急の先生の前で泣きじゃくった。


もう人前では泣くのはやめようと思った。

その代わり一人で泣くんだ・・・と。



泣いたらきっと、きっと元気になります。
そのためにもうしばらく眠らせて下さい。



« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »