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2012年3月 6日 (火)

風化

今の子供たちは幸せなのかもしれない。

私の子供の頃と違って、物は豊富にあり、今回の災禍も誰かが後生に伝えてくれるだろうから。


去年の東日本大震災と太平洋岸巨大津波、原発事故・・・今年の豪雪と、自然災害の猛威に晒されながらも、過去の教訓に従った人達と、その教えを守った子供たちは、難を逃れた。
説明しなくても、たくさんの映像記録が残されもした。

しかしそれもやがて風化し、伝承は途絶え、同じような惨禍を繰り返すとしたら?


また何十年後には、日本人は再び忘れてしまうのだろうか?


記憶は楽しい事によって書き換えられ、忘れ去られ、風化してゆく。
今年の豪雪は「平成18年豪雪」に匹敵する大雪と言われているが、もう人々は忘れている・・・・・。
これより更にひどい、「昭和38年豪雪」があった事を・・・
私と同じ年代の人は知っているはずだ。

「平成18年豪雪」の死者・行方不明者は152名、負傷者2136名、倒壊家屋4713棟だった。
しかし私が小学生の時に体験した、「昭和38年豪雪」では死者228名、倒壊家屋6005棟になった。


我が家は大正時代に建てられた、典型的な茅葺きの大屋根の家で、「昭和38年豪雪」の時は屋根から落ちた雪で1階部分が埋まった。
玄関から雪のトンネルを掘って、出入りしていたし、3階の窓から雪にダイビングしても怪我もせず、玄関から出るより早いので、毎朝、3階から飛び降りて小学校に通っていた。

当然、道路の雪かきなどされる事もなかったので、我が家には馬が一頭いて、その馬に馬そりを引かせて買い物に出かけていた。
馬そりのそり部分には鉄板が打ち付けられていて、雪の上でも、土の上でも平気で引っ張っていた・・・。


家の庭には太い送電線用の柱があって、庭の上を6本の高圧電線が走っていた。
当時は、送電線は出来るだけ真ッすぐ引くために、農家の庭に電線が通っているのは当たり前。

大人達が総出で、庭の雪かきをすると、こんもりとした丘になって、小学生の私はスキーをして遊んでいた。

大屋根の茅葺き屋根の家は、曾祖父が部落の人の力を借りて建て、その大黒柱は桜の大木をそのまま使い、その胴回りは18 寸角(約55センチ)で、両手が回らないくらい太い。
その他の部材も全て欅の大木の10寸角(約30センチ)の柱と梁(はり)が使われていた。

曾祖父はその更に祖父から、自然に逆らってはならぬと言われ、それは私の父にも伝えられたと言う。
今の家は、その大正時代の古家に使われていた木材をそのまま使っている。




母が言うには、
私は曾祖父と南向きの縁側に座り、目の前に広がる田んぼの稲穂に群がるスズメに、
拍子木を打ち鳴らし、追い払っていたらしい。

そして曾祖父が話す昔話を聞いては、その話を覚え、曾祖父に話して聞かせていたと言う。

私が幼稚園の頃の話・・・・。
確かに柱には拍子木がいつもぶら下がっていたが、昔話の事は覚えていない。


当然、我が家には曾祖父と一緒に映った写真など一枚もないし、
自分の小さい頃の写真も一枚も無い。
あるのは小学校の入学式の写真、一枚。

私は小学校の時どんな顔をしていたのか?
中学生の時、どんな顔をしていたのか、写真は一枚も無いので分からない。


しかしそれでも私は覚えている。

豪雪の事、十勝沖地震の時に小学校の校庭に地割れが出来た事、日本海中部地震で津波が発生し、たまたま男鹿半島に遠足に来ていた子供たち100人が津波にさらわれ、命を落とした事、秋田駒ヶ岳が噴火した事、全日空機と自衛隊機が空中衝突した夏の日の事、母の実家がダムに沈んだ日の事・・・。

何もかも鮮明に覚えている。


そして曾祖父も母も父も、その教訓の数々を私に言い伝えてくれた事を、今も覚えている。


年老いた人には、言い残す責任があるのだ。
子供や孫に、伝えなくてはならない事がたくさんあるのだ。


何故、誰もが直ぐに忘れるsign01
何故、子や孫のいる人は、伝えないのかsign02

どんなにテクノロジーが進化しても、ミスは起こる。
ヒューマンエラーという人為的ミスは決して避けられない。
人間のためのテクノロジーは、結局、人間でなければ制御出来ない。
そこにエラーが起こる。

そのヒューマンエラーに立ち向かえるのは、先人の知恵と教訓しかない。
それを忘れたら、原発事故のような重大な設計エラーが起こると言う事を決して忘れてはならない。




もしかしたら原発事故で故郷を追われた子供たちは、一生涯、この事を忘れないだろう。
しかし忘れないだけではダメだ。
次の代に言い伝えるのだ・・・決して同じ災禍を繰り返さない為に、君たちが言い伝えるのだ。
その責任は重い。
この苦難を一生覚えている事は、苦痛にもなろう・・・だが、風化してはならない。今、経験している事を後生に残せるのは、今の子供たちしかいないのだから。



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