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2013年6月の記事

2013年6月21日 (金)

クランクプーリー交換

やっと車が戻って来た。


予定より2日早く、交換修理を終えて、再び車両運搬車で運んで来てくれた。
さすがディーラーさん、この素早さは嬉しい限りです。


壊れたのはクランクプーリー(ダンパー)という、オルタネーターとA/Cコンプレッサーとパワステポンプなどを動かす為の小さなV溝が刻まれた、滑車・・・ベルト車という部分。
このクランクプーリーは外周のベルトを掛ける小さなV溝部分と、中心のネジ止め部分の間に緩衝材としてゴムが入っているらしい。
このゴムが製造経年劣化する事で、軸が歪んだり、曲がったりしてベルトが擦れ合い、ベルトが切れたり、タイミングケースと接触し穴が開いたりする事で、白い煙が出るのだとか。

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この車はボルト4本で本体と繋がっていたが、中央に1本だけの車もあり、又、軽自動車は負荷が小さいので、ゴム材はなく、一体型との事。
早速、新品のクランクプーリーを写真に収めました
タイミングケースは厚めのプラスチックカバーで覆われていたが、今回はそこも削れて穴が開いていたと。

メーカーの人に、あんまり車を動かさないと壊れるのも早いのか、訊いてみると、
ここはゴムなので年数が経てば劣化してしまうとの事で、ちょっとホッとした




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震災直後に植えた、桑の木。
去年、ちょっと実を付けたが、今年は去年以上にたくさん実をつけて、早速スズメがやって来るので、ネットを掛けた。

意外に成長が早く、枝振りも立派
大木になればなる程、実も大きくなるので、すくすく伸びて欲しい。






2013年6月20日 (木)

バテております

あれこれ思慮したものの、結局、父の軽自動車で難をしのぐ事ができた。
父は妹が帰ってから、沈み込んでしまい、話かけづらかったが、病院へ行く方法を聞かれ、「どうやら、近くをコミュニティバスが通っているらしいので、それで営業所まで・・・」と言うと、軽で行けばと言われ、おおそうだな・・・と、拝借する事に。
ただし、おんぼろ軽なので、エアコンは冷えないと・・・。
それにドアの取っ手も壊れていると・・・。

しかし運良く、昨日は今年初めての本格的な雨で、ちょい涼しく、なんとかなった。
天が味方した、と言う事か。


精神科の診察で、車の故障の事をグダグダと話すと、新先生曰く、
「もう少し新しい車に変えたら・・・」と、ギョッとする一言。

そういう話かよ
先生、それは冗談でしょ。今は中古車だって5年落ちでも数十万が当たり前、
年金暮らしでそんなローンを払える余裕はないですよ
新しくたって、故障する時は故障するでしょ・・・と言うと、
「近所付き合いを親密にしたら」と、ギョギョッと二言目。

それにはただ呆然でした・・・


心では、「ご近所付き合いしていれば、車で送ってくれる訳ないでしょ。それならタクシー呼んだ方が正解です」と呟いておりました。


そんな都合良く人間付き合いが出来るなら、先生には相談しません
相手から話掛けられるのは抵抗ないのだが、自分からは話掛ける事はない・・・それは余りにも恥ずかしい。
当たり前の事を言われても、なんかムカつくだけで、内心は「なんだこの先生。感情、入ってない」

まるで精神科の守備範囲ではないと言いだけに、処方箋を印刷し、さっさと立ち上がり、
「じゃぁ今日はこのへんで、また2週間後に来て下さい」
と、強引に打ち切り。

確かに、病院への通院方法を先生に聞いても、何と答えたら良いか困るだろう。
とりあえず型どおりの返答、と言う事なのだろう。

しかし一般的に、診察とはこんなものかもしれない。
親身に話を聴いていると、時に人生相談になったりするし、愚痴ばかり聴く羽目にもなる。


まぁ、診察が早く終わるというのは、何より良い事で、
もはやどこにも寄らず、途中、調剤薬局で薬を受け取り、まっすぐ帰宅したのでありました。

そして案の定、ダウン

むしむしする暑さで、軽い脱水状態になってしまった・・・。
降圧剤を飲んでいるのに、尿量が減少している。
尿で出るより先に、汗で水分が失われてしまっているから。
と言う事で、OS-1で経口点滴して、頭を冷やして、早々に寝てしまいました。


今日も朝から必死に水分を補給しながら、頭を冷やす。
あれやこれやと思考の数を巡らせると、だいたい2時間で眠くなる。
どうやらこれが集中できるタイムリミットのようで、それ以後は記憶に残っていないのだ。


ところでこの付近で、コミュニティバスが走っているというのを、何年か前の広報で見た気がしたので、役場で聞いて見た訳で、
それが今も走っているというのは、驚き。

先々々週、たまたま地元局で「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」というのを放送していて、その中で、盛んにコミュニティバスが登場したのを、何となく覚えていた。
その語呂と、以前の広報の記憶がドンピシャ
瀬戸際になって、まさしく路線バス乗り継ぎで往復できそうだと知った事は、今度の大きな収穫だった。



2013年6月17日 (月)

残念ながら修理へ

それにしても何と幸運だった事か。
前回、良く家まで帰って来れたものだと思いながら、車検でお世話なったディーラーが、手際良く、車両運搬車に載せるのを見ていた。
何と便利な・・・。たった一人で載せられるように、全てリモコンで動くのは凄い。

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一体、どこが故障したのかと言うと、2本のベルトが交差している部分だと言う。
エンジンの外にある太いベルトではなく、この部分。
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他の車のものですが・・・、この2本のベルトが掛かっている部分が、歪んでいて、ガガガガという音がしたとの事で、交換となりました
また何故煙が出たのか? 焦げた臭いがしたのかは、この部分の軸が曲がっていたせいだろうとの事で、スターター自体も壊れる所だったそうで・・・やれやれです。


今回はたまたま妹が帰省していたので、運が良かったものの、妹が帰ったあとは移動手段が無いので、買い置きのカップ麺と冷凍ピラフで凌ぎ、毎日欠かせない無脂肪牛乳は買いに行けないまま。

問題は精神科の診察日、病院に行く手立てを考えねば・・・
バス停までは遠くて歩くのは無理なので、タクシーでバス停まで行くか、或いは駅までタクシーで電車にするか。
自転車に乗れればいいのだが、医者から自転車禁止を宣告されているし・・・自転車持ってないし・・・。


手段が見つからない。

仮にバスで行くとしたら、調剤薬局に寄る時間はあるのか?
バスは1時間に1本しかないから、薬を受け取ると、1時間待ちか・・・。

しかし汗っかきの身としては、炎天下を歩くのは相当辛い。
これは意外に難しい・・・

車検と違って、代車が無いのは予想外の事で、やがて一人になった時の事を考えると、果たしてディーラーに頼む事を思いついたか? とか、これが冬だったらどうすればいいか? とか・・・







2013年6月11日 (火)

車から煙!

本日、心血管内科の診察日で昼に自宅を出発・・・

しようと車のエンジンをかけると、ガガガガッと凄い音。
そしてボンネットから煙が出て来た
更に、室内にも焦げ臭いので、数メートル走った所でエンジンスト-ップ
バッテリー警告灯が点灯してるので、その辺の異常か

Photo

エンジンを直ぐ止めたので、煙は収まり、ボンネットを開けて見たが、どこも焦げた跡はなく、火も出ていない。
余りに走らないのでバッテリー上がりか・・・と思ったが、そんな悠長な時間はないし、メカはトンと分からないので、父にバトンタッチして、帰省中の妹の車を拝借、とりあえず病院へ急ぐ事に。


先週、ペースメーカー外来でレントゲンと心電図をとってあるので、今日は診察のみでしたが、それでも2時間待ち。

最近、暑い日が続いて、身体がようやく夏モードに切り替わったものの、
私一人、一生懸命汗をかいてしまい、愛用の扇子で涼みながらの診察待ちでした。
ペースメーカー外来の先生に、「ペーシングを変えても異常はないね。少し心臓が自分で動いているようだし」と言われ、ちょっとほくそ笑んでいたのですが、
主治医の先生には、「そういう時もあるからね」と、あっさり言われ、
まぁ確かに、四六時中、メースメーカーが電気信号を発している訳ではないので、
心臓も調子のいい時もあるし、悪い時もあるのが房室ブロックだから・・・と言う事ですね


そしてどこにも寄らず、とっとと帰ってきましたが、
故障した車はと言うと・・・

父が、輸入販売元の三菱に電話したら、それはジェネレーターと言う発電機の故障で、そのためセルモーターから異臭がしたのだそうで、絶対エンジンを掛けないように、との事
火を吹くかどうかは分からないが、とにかく故障したのが家の庭で、妹の車があって、幸運でした

部品を取り寄せて、日曜に伺うと言うので、それまで動かさずに待ちます
やれやれ・・・。





2013年6月 2日 (日)

数字を覚えられない「失数症」

ブラッド・ピットが 「人の顔を覚えられない」相貌失認という症状を患っていると告白したと言うが、
人にはそれぞれ不得手というのがある。

私の場合は、今では不得手・不得意ばかりになってしまい、自慢出来る事は何もない。

その最たるものが、数字を覚えられない「失数症」という、実に困った症状である。
特に誕生日に関しては、自分の誕生日は覚えているものの、その他の人の誕生日が全く覚えられない。
両親や親類縁者、姪や甥、有名人、芸能人に至るまで、どうしても覚えられない。

聞いても忘れるし、紙に書いても、どの紙に書いたかを忘れてしまう。
自宅の電話番号も、携帯の番号も、覚えられない。だから部屋の壁にはいろいろな数字を書いた紙を貼っている。
とにかくすぐ目に付くところに無いと、書いた場所を忘れるし、メモする事が増えると、古いメモ帳の置いた場所さえ忘れてしまう・・・。




高校時代には付き合っていた彼女の誕生日を忘れ、怒られて、別れを告げられ・・・。
誕生日だけでなく、年号とか金額とか、数字は特に覚えられない。
小学校で習う九九や、足し算、引き算さえ、紙に書いたり、指で数えたり・・・・結局、桁が多くなるともはや全滅
かくして小学校の時には算数で0点を取ってしまった事も。


こういう症状を、どうやら「失数症」と言うらしい。



何故こんな事になってしまったのか
原因らしき事は分かっているのだ。

誕生日を覚えられないそもそもの原因は───


私は小学校卒業まで、自分の誕生日を間違って教えられた事にある。
そもそも小学校の通信簿には、10月21日と記載されていたし、何かと頻繁にお世話になった病院で見せる保険証にも10月21日と記載されていた。

そして毎年恒例のお誕生日会も、私は自宅に同級生を呼んで、10月21日に誕生日会を開いていた。
更に、小学校の卒業証書にも同じ日付が書かれている。


しかーし
中学校への入学願書で、初めて自分の誕生日が10月22日だと知って、あらまぁ・・・ビックリ
私が信じて来たこれまでの誕生日は、一体なに
なんで一日間違っていたのか?
明治時代や、終戦後のゴタゴタの時期でもないのに、どうして戸籍から書き写す時、間違ったのか?
しかもそれが延々、小学校卒業まで続いてしまった訳で、閏年生まれでもないのに、これは誰の責任?


なんてな事はほとんど考えもせず、
「こりゃすげぇー!」と驚いて、この話は簡単に終わってしまったが・・・
私の中では、もしや10月23日がほんとの本当ではないか・・・? という疑念が今も渦巻いている

どうやらそれ以降、元々苦手だった数字が、とことん嫌いになってしまい、覚えようと努力すれども、全く覚えられないという最悪の状態を固持したまま現在に至る訳だ。
戸籍原本が正しい───というのは、実は誰にも確かめられないのでは・・・
当の本人は覚えてないし、出生届も、役所の原本も最初は手書きだし、入力間違いや、書き込み間違いがひょっとしたらあるかもしれない。

両親にこの事態を聞いても、全く覚えていないようで、今となっては遙か夢の中の出来事のようでもある。
従って、暗算なんてとんでもない神業であり、簡単な計算も電卓依存で、難しい計算には一切関わり合いたくござんせん
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しかし、当時は体育の方が苦手で、

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棒(竹)登りとロープ登りは、クラスで私一人、出来なかった

なので、小学校時代の通信簿は体育が6年間毎回2(5段階評価で)・・・、中学時代は運動会をズル休みしてました。
結局、努力しても、出来ないものは出来ない という事でしょうか・・・







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