目的行動治療
前回の診察から2週間、再び外出不能の症状が出て、昨日の診察日まで1歩も外に出る事がなかった。
診察では、更に、同居している両親とも、ほとんど会話をしていないと先生に伝えた。
つまりまたしても、この2週間、誰とも会話をしていないのだ。
元来、誰かと話す事は嫌いではないし、必要なら会話もするが、私には他の人と少し違う症状が出る。
それは、話し続ける時間にタイムリミットがある事だ。
会話を続行できる時間は、最大3時間。それ以上、一度に話すと、頭痛がして、急に眠くなる。
加えて、甲高い声も苦手である。怒鳴り声も苦手だし、男の低い声も苦手で、女性の低くてガラガラ声は、頭に響かないので比較的聞きやすい。
この奇妙な症状に気づいたのは、高校生の頃。
クラブ活動を終えて、夕方、盛岡駅で電車を待っていると、どうしても眠くなって、通路で電車待ちの間、休憩態勢で寝ていた。
丸一日、身体が保たず、友達と話しているうちに眠くなってしまう。
姪や甥が小さかった頃、話していると、だんだん疲れてきて、やっぱり眠くなり、すぐに寝ていた。
原因は分からないが、一日に話せるのは3時間までで、その配分を上手く時間帯に振り分けてきた。そうしないまま喋り続けると、途中でアゴが疲れてくるし、頭痛がしてきて、眠くなる。
多分、小さな声で喋ると、もう少し長く話せるかもしれないが、最近、そんなに会話する事がないので、良く分からない・・・・・。
だから私にとっては、誰とも話さず、テレビに向かって一人で突っ込んでいる方が楽だし、明石家さんまのように喋り続ける事など全く不可能だ。
人と会話する機会が無いという事に関しては、特に苦痛ではないが、ただこのままだと認知症になるのでは?との不安がよぎるので、先生にその事を話すと、先生もその可能性はありますね・・・と頷いた。
三日坊主と言う言葉があるように、これまで何とか自力で外出しようと試みた事はあった。
しかし、外出のための「口実」が見つからない。
正当な理由が無いのに、外出する事をこれまでして来なかったせいもあるが、1度や2度の踏ん張った外出だと、あとが続かない。
継続するためには、別な外出するための正当な理由が必要なのだ。
それが例えば、通院だとすれば、立派な理由になるし、絶対に行かなくてはならない外出になる。
しかし普段はどうすればいいのか・・・挫折に次ぐ挫折で、これまで継続した試しがない。
もちろん、お金が掛かるのはダメだし、盛岡まで行くのも遠すぎて負担になる・・・・・。
今回、新しい先生にその話しをすると、先生は、
強い「脅迫観念」があるねと、言った。
自分に嘘をつきたくない・・・理由にも嘘をつきたくない・・・。以前、水泳に通ったが、溺れたので、身体への負荷を避けるという、外出の理由・・・、そんな事を先生に訊ねてみた。
「それじゃ、図書館への往復をして下さい」と先生は言った。
「図書館へ?」
「そうですね。図書館へ行って、そのまま帰って来る事から始めて下さい」
図書館は役場の隣に建っているので、近いと言えば近い・・・。
策を提案して欲しいと言った時、私はこう付け加えた。
勧める行動を、「~したらどうですか」とか「~なんかいいと思いますよ」というような、私に選択させるのではなく、断定して下さい、とお願いした。
それは例えて言えば、『夕ご飯は何が食べたい?』と聞くのではなく、『今日の夕飯は◯◯◯だから』と言うように断定して欲しいのだ。
病院の予約日のように、「もう決まっているから」という勧め方をされると、何としてでもそれを成し遂げようと努力する。
そんなふうに追い詰められた方が、私の場合は楽なのだ。
昔から、言われた事は何があろうと完遂する事だけを教わって来た。
自分で色々考えず、自分に課せられた仕事や責任を貫く。
人にはそれぞれ生まれ育った環境がある。
他の人は、その環境に違和感を感じ、反発し、自分の好きな道に進む人もいるだろう。
しかし私は違っていた。
自分の生まれた環境や家の仕事だけを見て育ち、集落の他の人達と同じように、私も長男として家を継ぐという気持ちのまま大きくなった。
その生まれ育った境遇に、何の不満もなかったのだ。
農家の一人の職人として生きていくと、生まれた時から言われ続けて生きて来た・・・。
長男の私が家を継がないという事は、代々続く分家としての家系が途絶える事を意味し、本家に顔向けができないほどの恥さらしになる。
で、結局このまま恥さらしで終わる訳ですが。
そんな言い伝えの中で生まれ育ったのも、何かの因縁。
それが正しいと信じられたら、指示に従う。今は先生の指示が必要なのだと思う。
それが新たな目的行動治療と信じて・・・。
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