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2016年6月の記事

2016年6月25日 (土)

汗っかきの梅雨

10

少し湿度が高いものの梅雨らしい天気にはまだ遠く、無駄にジメッとして、中途半端に暑い日々。


苦悶していた足の痛みもようやく和らぎ、
かれこれ2ヵ月近く行ってなかった皮膚科に、昨日ようやく行って来た。

その間、乾癬の状態は悪化して、鱗屑状態にはならないものの、
紅斑と浸潤、それに出血が段々ひどくなって、
塗り薬が底をついてしまったので、午前中を目指して病院へ‥‥


しかし、いつもなら15分と待たないのに、
何故か昨日(金曜日)は、すっごい人混み


しかも何だかジメジメと暑い‥‥


そんな事も予想して、薄い半袖シャツにして着たが、案の定、それでも汗がでるぅぅぅ

しかも何んと、半袖は数人のみ‥‥あとは皆が皆、長袖や背広ばかり。
カバンからタオルを取り出し、汗を拭くのも気が引けるが、仕方がない。
それもそのはず、昨日は最高気温25度ぐらいで、心地よい初夏と言う感じで、天気も良かった、らしい。




しかしまぁ、待てども、待てども、患者の数は減らず、隣の泌尿器科の椅子が空いて来たので、横になって寝る事にした。

そして待つ事、2時間、ようやく呼ばれた頃には、患者は、午後の専門外来の受付を待つ人に代わり、
どうやら一番最後になってしまったようだ。

あとで知ったが、金曜日の午前は、位の高い先生が診察すると言うので、毎回混むらしい‥‥

Oh my God!

そして約2ヵ月ぶりに光線療法も受けて、処方箋をもらい、次へ。




病院の地下で食事を‥‥と考えていたが、
時間が迫っている

 
  
午後2時、精神科クリニックに到着。

前回、ちょっと心外な事を言われ、軽く憤慨してしまったので、昨日は、淡々と病状と心情を話し、待ち時間なく、診察を終え、そばのコンビニでハンバーガーを買い、車の中で軽く腹ごしらえ
その後、スーパーで夕食を買い、さっさと帰宅した。






Photo

梅雨入り前、
我が家の庭には、色とりどりの草花が今年も華を咲かせた




そして、これらの花が散って、今度は次の新しい花たちが咲きだした‥‥


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垣根の隙間、地面から、何やら小さな花‥‥




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名前はトンと良く分からぬが、季節が移り替わるごとに、色々な草花が芽を出し、咲いてくる。

今は全く気配もない、ひまわりも、梅雨が終わって暑さが本番を迎えると、垣根の間から姿を現す‥‥

とか言いながら、梅雨本番はまだ来ない。





2016年6月14日 (火)

懦弱な宿因


6月3日、疲れ切った身体を起こせない──。




足の不自由な母にとって、利用できるのはタクシーのみ。要介護認定を受けているが、デイケアを受けていないので、急に病院までの足の確保は無理‥‥。


残る方法は、往復1万円程度のタクシーか‥‥。








その時‥‥、午前6時、玄関のチャイムが鳴った──。
母が出ると、妹がいた。




父が、手術日の決まった日、妹に電話して、「休み取れるなら来てけろな」と、連絡していたのだった。


結局、ヘバッていた私は麻酔開始までに起きられないので、着いたばかりの妹が、母を連れて赤十字病院へ向かう事になった。
本当は、一緒に暮らしている私も手術直前に立ち合いたかったのだが、医師の腕を信じて、私は午後になってようやく起きて、朝食も食べずに病院へ向かった──。






着いたのは午後1時過ぎ。
家族待合室には、母と妹がいて、私が着いた時には手術は終わり、麻酔が覚めるのを待って、病室に戻って来るとの事で、それまで長椅子に横になり、売店で買ったパンを食べ、瞬く間にウトウトしてしまった。




手術の最中の写真を見せられ、「非常に上手くいきましたよ」と。

病室に戻った父はまだボーっとしていたが、二、三言葉を交わし、病院をあとにした。




そして帰宅した途端、左脚の痛みに苦悶する事なる‥‥

右太腿全体の痛み 何故こんなにも痛いのか、理由が分からない
とにかく足を曲げれないので、側面の筋に沿って湿布をベタベタ貼る。

買い置きのポカリスエットを、ガブガブ飲んで‥‥

湿布は、もしもしの時の為に買い置きしてあるので、その日はそのまま痛みと疲れで、グッタリしたまま就寝。


翌日から蠢く痛みとの、追いかけっこが始まった


一夜明け、太腿の痛みは正面に移動。病院に行く事も考えたが、肉離れや疲労骨折でもなければ、結局、湿布を貼る事しか出来ない。
低周波治療が出来ればいいのだが、出来ない物を欲しても無駄。




6月5日の退院には、もはや車の運転が出来ない程痛いので、またまた妹と母が、病院まで迎えに行った‥‥。

だらしない 不甲斐ない 全くの役立たず
イザと言う時、一つも足しにならない──






足は痛いし、心は更に痛い──





足の痛みは、お尻から太腿の裏へ移り、次の日は膝の周囲に移り、更にフクラハギに移り、それからまた太腿の横に移り‥‥それと同時に、痛みの度合いも少しずつ小さくなり、歩けるように‥‥




やがて痛みの大本営が現れた。
最も痛めた所は、膝の裏の2本の太い筋の外側の筋。

太もも裏側の「ハムストリングス」と言う部位の、大腿屈筋群の中の「半腱様筋」と言う太い筋肉。

ここから派生した痛みが左脚全体に響き、約10日間、蠢く痛みとなって襲って来たのだった。


ハムストリングス半腱様筋






家に戻った父は、至って元気。
1週間は無理しないように、と言われたらしく、それでも以前と変わらない日常を送っている。
まだ自分で車は運転できないが、食事も散歩も、普通に戻った。


妹は、昨日、「そんなに有給取れないから、帰るわ」と、颯爽と帰って行った。




考えれば──、足の痛みは置いといて、何故こんなにもスケジュールを詰め込んでしまったのか──と言う反省点。
日程を更にズラす事も出来た、と今になって思った。


そもそも私のこれまでの習慣と、体力からすれば、週に2回までが、行動の限界と分かっていたはずなのに、予定をギューっと詰め込み過ぎた。

見た目、外観はデカいし、体格もいいので、丈夫そうに見えるが、残念ながら、カラータイマーが切れる時間は相当早いのだ




そして、復活するにも時間が掛かる、実に厄介な体質である‥‥‥‥













2016年6月12日 (日)

蠢く痛み

農家の長男として生まれた私には、自分がこれから先、何をするべきか‥‥どんな人生を進むべきか、などと言う疑問は皆無だった。

たった一つ言われたのは、『両親を看取る』こと。
そして、その為には私が先に死なない事だった。

その曾祖父の言葉は、幼い私の中に、たった一つ残った言葉だ。
私の記憶は──唯一、南向きの縁側に並んで座り、穂を垂れた稲にやって来るスズメに、桜の木で出来た拍子木を叩き、スズメを追い払う事。

とても反響する拍子木を、曾祖父と並んで叩く。



そして私が小学生の時、曾祖父は亡くなった──。自宅で、老衰による大往生だった──。




それから月日が経ち、幾度、意識不明で入院したか‥‥。多分、人間はそれぞれに体力の限界があって、その際、無理して働くと、取り返しのつかない病になる。
しかし私の限界は他の人より容易くやって来て、直ぐ、倒れて意識を無くし、入院する羽目になる。






跡取りとして一人前になろうと努力して来たが、それは意図も簡単に体力的な限界が訪れ、結局、家族に迷惑ばかりかけて来た‥‥。

長い時は、1年半も入院生活が続いたり、汗っかきのせいで、1週間の入院は毎年のように繰り返された。



しかし不思議な事に、これまで幸運にも、致命的な病気は2度。
癌ではなく、急性肺炎と急性心不全。

「あなたのお子さんは心臓が強い」と、母が医師から言われたよ、と話してくれた。




そう──。
私には、どうしても成し遂げなければならない宿命があるのだ

『父と母の介護だ。』
そして死に水を取るのが私の宿命──。それが農家の長男に生まれた者としての役目。それが代々続く、先祖からの習わし。




所が何んと不甲斐ない有様だ。




5月25日、赤十字病院で手術についての説明があって、朝早く両親と3人で出かけた。

赤十字病院は、診察は午前のみ。全ての診療科で午前だけが診察で、午後は全て手術に充てられている。
物凄~く長い廊下の隅から端まで、8つの手術室が並んでいた。

父の病名は、「鼠径ヘルニア」で、通常の5センチの手術と腹腔鏡手術の2通り。
赤十字病院は県内で最も腹腔鏡手術による、「鼠径ヘルニア」の手術件数が多いので、この病院を選んだ。
実際、私は別の病院で、16年前、「胆嚢胆管結石」の全摘腹腔鏡手術を受け、次の日には退院したので、年齢的にも身体に負担の掛からない腹腔鏡手術をお願いした。


自宅で手術日の知らせが来るのを待っている間、母のリハビリの送迎は私がする事になった。
母のリハビリは27日。

そして今度は5月31日が私の心臓血管内科の受診日。
肝臓内科の精密血液検査も同時に行い、肝臓内科の診察は6月3日に──。金曜日の午後しか、肝臓内科の専門医がいないので、早く結果を知りたくてその日に設定。

通常の血液検査は、心臓血管内科で聞かされた。


物凄く気になっていた肝機能値は、大幅に減少
食事制限が功を奏した形となった。
体重も4kg減で、とりあえずホッとする。




そして手術日を知らせる電話──。

6月2日の午前中に入院、6月3日の昼前に麻酔して、そのまま手術室へ。
と言う日程を知らされた。




私としては、これまでこれ程頻繁に盛岡まで行く事がなく、既に、バテ始めていた。──この日、盛岡はジトジトと小雨が降る──。

肝臓内科の診察と重なった為、1週間延ばしてもらう事にした。




しかしまだ体力に余裕があると、6月2日、早朝、父が入院するので、再び3人で赤十字病院へ向かい、次の日の段取りを聞いて、午後、帰宅した。


この時点で、呼吸が荒くなって、お腹で息をする状態──つまりぐったりして、バテている、こりゃマズイ。


更にとうとう、何故か分からないが、右脚が痛い


そのまま手術当日の朝を迎えた──。
麻酔前までに家族は来るように言われていたが、どうする‥‥。















2016年6月 2日 (木)

入院





今年に入り、たびたび不調を口にして来た父が、手術を受ける為、本日入院。


手術は明日。




私も、5月下旬は、絶え間なく検査や診察や申請やらで、
これまでで最高・・・かな、と思うほど出歩く機会が増え、

筋肉痛と、寝不足で、気持ちに余裕が無くなって来てます。

入院した病院が遠いと言う事と、
何もかもが朝早く、暇なく目をショボショボする毎日。




今年は母の帯状疱疹での入院もあり、
又、人工関節にもなかなか慣れずに、自力で出歩く事もまゝならない日常。
リハビリへの送り迎えは、父が不調の為、今は私が送迎役になっています。


私自身も不自由な身ですが、
曾祖父の教えを守り、出来る限り、頑張りたいと思う毎日・・・。




明日はまたまた早朝から病院へ行き、手術の成功を見守ります。


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