バタバタ年が明ける
昨年の夏、庭のノウゼンカズラの花は殆ど咲かなかった。暑すぎたのかもしれない。
あたふたした年末になった。母の痛みをどうやって消すかに、神経をすり減らして来た。
12月25日、病院へ行った。
母は殆ど痛みで動けないので。痛みを訴える部位を写真に撮って、担当医に見せた。
赤く濃い鬱血痕が右脇腹の肋骨下に広範に広がる。
担当医は、母の症状と痛み具合と写真から、「帯状疱疹」ではないかといった。
はっぁ!?まさか・・・母は数年前、帯状疱疹で入院しているのだ。
その時は大した痛みも、皮膚のブツブツもなく、すぐに完治したが・・・まさかこんな時にか――!
発症してからもう一ヶ月近く経つので、抗ウイルス薬は効果が無いかもしれないが、アシクロビル200mgを処方してくれた。
更に「ワォンワォン・・・」と事あるごとに泣いて痛がるので、強オピオイドの「オキシコドン徐放錠」を追加してくれた。
これで鎮痛・疼痛薬は「フェントス2mg」と「カロナール錠」、「オキシコドン」の3種類になった。
あとはこれらを血中濃度を維持しながら、効果が途切れない様にバトンタッチ方式で使ってゆくしかない。
しかし突発性の疼痛が起こった場合のレスキュー剤がなく、徐放剤は割れないし、砕く事も出来ないので効き目が遅い。病院なら鎮静剤の注射も出来るだろうが、在宅で、医師でも看護師でもない者が筋注など許されるはずもない・・・。
多分、骨髄腫の痛みだけなら、既に緩和できてるはずなのに、予期せぬ帯状疱疹と、その後の帯状疱疹後神経痛のダブルパンチに、家族は為す術を見失った――。
赤十字病院の主治医に入院の打診をしてみた。
しかし答えは同じ・・・。
病気に対して治療しなければ入院が出来ないし、緩和ケア病棟にも入れない。治療は症状を改善するための事で、現状を維持させるだけでは在宅になると言う。
確かに、そう考えると神経進行性疾患の患者は在宅医療を受けているし、認知症だけでは入院は出来ないが・・・。
しかし先生が、そうした患者を受け入れてくれる病院を盛岡周辺で探してくれた。
だが、第一候補は自宅から遠く、エマージェンシーが来ても直ぐには駆け付けられない。もう一つは地元にあった!!
問い合わせると、受け入れOKだが、ベッド数が少ないので、空くまで待ってもらう事になると。
その間、訪問看護師が、在宅での点滴をアシストしてくれると言う。
自分で食事を飲み込めなくなったら、在宅訪問介護になり、病院のベッドが空くのを待つことになるという話だった。
涙が出た・・・
母はまだ自力で食べる事が出来る。痛みさえコントロール出来れば、看取りの覚悟を先伸ばし出来る。
そして、年が明けた。
痛い、痛い、痛いよ----と呻くように毎晩唸っていても、どうする事も出来ず、先週、母の背中を冷やしながら泣いた。毎晩、母の痛みの苦悶を聞きながら涙ばかりが溢れ、明け方まで泣き続けた・・・。か細い手で私の腕や膝を掴んで、痛でぇ痛でぇ痛でぇ痛でぇ
何故、為す術が無いのか?
タリージェは使えないのか?
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