神様、もう少し眠らせて
散らばったままのペットボトル。
カップラーメンの空カップ。
水槽の底でジッとしたまま餌を待つ金魚。
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1月9日、朝、帯状疱疹後神経痛で身体を起こす時も痛がる母の為、人が抱えなくてもいい様に介護ベッドに取り替えた。
この時は僅に意志疎通が出来て、「何か食べたい?」と訊くと、本当にか細い声で『り・ん・ご』、と話た。
それが、私の聞いた最後の言葉でした。
母はその時、右目を僅に開き、涙を流した……。
それまで滅多に涙を見せなかった母が、神経痛になってから、夜中泣きながら呼び出しベルを鳴らす事が多くなった……。
私は、ただオロオロしながら、レスキューの痛み止めを飲ませるしかなかった。
私も三十代の頃、帯状疱疹になり、その後、帯状疱疹後神経痛に苦しみ、1年半入院しているから、母の苦しさは身に染みて分かる。
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すり潰したリンゴを、スプーンで口に入れると、噛む仕草をするものの、もう飲み込めない……
翌日、入院の為の訪問診療で医師と看護師が訪れた。
初めての在宅診療──。
診療所の診察が終わってからだろうか、夜7時を過ぎていた。
食事を全く摂れていないと言う事で、250mlの点滴を約半量、ゆっくり落としながら、明日、朝一番で入院させましょう、となった。
患者搬送には救急車を呼ぶ事にして、部屋は個室が空いているのでそこへ、となった。
病院では無い診療所なので、個室代は取らないと言う。
しかし、それは叶わなかった──。
もし、あと数日早く訪問診療を頼んでいれば、或いは、数日早く入院出来たかもしれない……、と思いつつも、その判断を誰がする?
ケアマネージャーが促したとしても、父が納得したか?
介護ベッドの提案がせいぜいだったのかもしれない。
治療してないと言う事は、全ての判断を家族がする事になる。
医師による訪問診療や点滴も、家族が要請しなくては、前に進めない。
そんな事も全く知らず、何だか全てが、後手後手になったような気がしてならない──。
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医師が帰って間もなく。
家族が、
「おかあさん、息してないよ!」と叫んだ。
直ぐ、医師に再び電話!
大晦日。
本当に何十年ぶりかで、家族が揃い、いつもの様に母は大好きな寿司を頬ばった──。
最後の年越しを、小さなコタツを囲み、小さな家族が、全員揃って迎えられた。
医師が告げた。
「午後11時56分、御臨終です」
「きっとこの家に居たかったんじゃないですかね…。病院のベッドは嫌だったんでしょうね……」
医師の言葉に、父が頷いた。
.斯くして、私は循環器内科の診察を延ばし延ばして、今、太腿の筋肉痛で足があがらず……。
電池切れが迫る、心臓ペースメーカーの最終検査も延期してもらい、3月になった。
循環器内科には、薬が切れそうなので、近々行かねば。
それまであと少し、眠らせて下さい──。
再び、気力が戻るまで──。
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