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カテゴリー「父母の闘病記」の記事

2020年1月 1日 (水)

バタバタ年が明ける

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昨年の夏、庭のノウゼンカズラの花は殆ど咲かなかった。暑すぎたのかもしれない。

 

あたふたした年末になった。母の痛みをどうやって消すかに、神経をすり減らして来た。

 

12月25日、病院へ行った。

 

母は殆ど痛みで動けないので。痛みを訴える部位を写真に撮って、担当医に見せた。

赤く濃い鬱血痕が右脇腹の肋骨下に広範に広がる。

 

担当医は、母の症状と痛み具合と写真から、「帯状疱疹」ではないかといった。

はっぁ!?まさか・・・母は数年前、帯状疱疹で入院しているのだ。
その時は大した痛みも、皮膚のブツブツもなく、すぐに完治したが・・・まさかこんな時にか――!


発症してからもう一ヶ月近く経つので、抗ウイルス薬は効果が無いかもしれないが、アシクロビル200mgを処方してくれた。

更に「ワォンワォン・・・」と事あるごとに泣いて痛がるので、強オピオイドの「オキシコドン徐放錠」を追加してくれた。

これで鎮痛・疼痛薬は「フェントス2mg」と「カロナール錠」、「オキシコドン」の3種類になった。
あとはこれらを血中濃度を維持しながら、効果が途切れない様にバトンタッチ方式で使ってゆくしかない。

しかし突発性の疼痛が起こった場合のレスキュー剤がなく、徐放剤は割れないし、砕く事も出来ないので効き目が遅い。病院なら鎮静剤の注射も出来るだろうが、在宅で、医師でも看護師でもない者が筋注など許されるはずもない・・・。

多分、骨髄腫の痛みだけなら、既に緩和できてるはずなのに、予期せぬ帯状疱疹と、その後の帯状疱疹後神経痛のダブルパンチに、家族は為す術を見失った――。


赤十字病院の主治医に入院の打診をしてみた。
しかし答えは同じ・・・。

病気に対して治療しなければ入院が出来ないし、緩和ケア病棟にも入れない。治療は症状を改善するための事で、現状を維持させるだけでは在宅になると言う。
確かに、そう考えると神経進行性疾患の患者は在宅医療を受けているし、認知症だけでは入院は出来ないが・・・。

しかし先生が、そうした患者を受け入れてくれる病院を盛岡周辺で探してくれた。
だが、第一候補は自宅から遠く、エマージェンシーが来ても直ぐには駆け付けられない。もう一つは地元にあった!!
問い合わせると、受け入れOKだが、ベッド数が少ないので、空くまで待ってもらう事になると。
その間、訪問看護師が、在宅での点滴をアシストしてくれると言う。
自分で食事を飲み込めなくなったら、在宅訪問介護になり、病院のベッドが空くのを待つことになるという話だった。

涙が出た・・・
母はまだ自力で食べる事が出来る。痛みさえコントロール出来れば、看取りの覚悟を先伸ばし出来る。


そして、年が明けた。

痛い、痛い、痛いよ----と呻くように毎晩唸っていても、どうする事も出来ず、先週、母の背中を冷やしながら泣いた。毎晩、母の痛みの苦悶を聞きながら涙ばかりが溢れ、明け方まで泣き続けた・・・。か細い手で私の腕や膝を掴んで、痛でぇ痛でぇ痛でぇ痛でぇ


何故、為す術が無いのか?

タリージェは使えないのか?

 

 

 

 

2019年11月28日 (木)

在宅介護の意味と限界?

突然の余命診断から7ヵ月余り、母と家族の病魔との戦いは気の抜けない日々の連続である。
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母は食欲も少しだが有り、意思表示もハッキリしているが、やはり食べる量は減っている。
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食欲を一番邪魔しているのが胸骨の痛みだ。
胸骨の左右の下から各5本が、腫れて炎症を起こしており、この激痛が夜寝てる時以外、一日中痛いと苦痛を訴え続ける。
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先週までは…。
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病院から、癌性疼痛の薬として合成オピオイドのフェントステープ1mgと、ロキソニン錠60mgを1日2回、それに就寝時にボルタレン座薬をもらい使っていた。
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.だが、今月になって胸骨の腫れが酷くなり、処方薬では痛みを抑え込めない。
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そこで今週早々病院に電話して、鎮痛剤の増量をお願いし了解されたので、早速取りに行った。
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増量したのはフェントステープを2mgへ。
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所が、1mgを貼ったまま2mgを貼ったせいか、母が苦しみ出し嘔吐!

 

どうやら、急な増量での副作用かもと家族で相談し、慌てて2枚とも剥がし、吐き気が収まるかを待つ事に……

 

 

その間、血圧を計り、血中酸素濃度をモニターしながら様子を見る。
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それから暫く、深夜未明、母が落ち着いて来たので、両胸骨をタオルで冷やす。
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状態が安定したので、フェントステープの効果が減衰する17時間後を目処に待つ事にする。
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余裕を見て、約30時間後、2mgを太ももの膝の少し上に改めて貼る事に……。
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胸骨の腫れと炎症による痛みがヒドイので、角化用のステロイド軟膏を塗ってみる。
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これは私の乾癬用の軟膏だが、同じ抗炎症作用のステロイドなので、気休めに。

 

そしてその上から市販の安い湿布を貼る。
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癌性疼痛に湿布は役に立たないと知ってるものの、他に手立てが無い!
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ついでと言っては何んだが、処方薬のロキソニンも殆ど効果が無い。
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それもそうだ……
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市販薬の成分量より少ない容量では、効くはずもない。
血管性や筋肉痛とは違う、骨が溶ける痛みに太刀打ち出来るはずもない。
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つまり、在宅での、多発性骨髄腫のケアはほとんど不可能と言う事になる。

 

病院で静脈点滴による定量投与しか、痛みを軽減する方法は無いのか……

 

或いは訪問看護による看護師の要請か?
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しかしここではそれも無理。訪問看護師の人手が足りない。

 

 

入院となれば、一気に弱っていく事は目に見えている。何とか在宅で……と言う家族の願いは届かないのか?
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.一瞬、微量のダラザレックスはダメなのかな?
と、弱気の悪魔が顔を出した。
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理屈は分かっている。
分かっているのだ!

 

全身が痛む訳ではない。
関節リウマチのように動かすと痛い訳でも無い。

 

骨にヒビが入った時のように炎症を起こして腫れて痛むのだから、炎症を鎮められれば楽になれるはずだが、その術が分からない。

 

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ただ一つ分かった事は、ロキソニンのような作用機序ではダメだと言う事。

 

ステロイドの内服は肝臓と腎臓をやられるので論外だし、そもそも多発性骨髄腫に有効かも分からない。
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今は炎症を軽減したい……ただそれだけ。そうでなければ在宅介護の意味が無い!
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2019年11月20日 (水)

合成オピオイド鎮痛薬

色々な事に忙殺されて、ブログに書きとめる事を忘れていた。

 

母の年齢を考慮し、抗がん剤治療を断念してから約7ヶ月が過ぎました。

 

 

当初、酷い貧血の為、1ヶ月ごとに輸血に通院してたが、9月の時点から数値が9.5で安定して来たので、拒絶反応を防ぐ為に1ヶ月半ごとになった。
(正常値のHGB=ヘモグロビンは11.6~14.8)

 

 

抗がん剤治療をしてないので、免疫グロブリンのIgGが7500mgと、基準値(861~1747)より相当高く、骨髄腫細胞が活発であり病状は進行している。

 

 

逆に面倒力を高めるIgAとIgMが低値で推移している。
この二つの免疫グロブリンがこれ以上低くならない事を祈るしかない。

 

 

母の骨の痛みは、肋骨の脇の部分と肩甲骨の端に集中していて、毎日苦痛に顔を歪める姿が見るに堪えないほど……。

 

 

訪問看護は頼んでいないので、対症療法しかないが、それを繰り返すばかり。

 

①高度の癌性疼痛には効き目が無いが、気持ちいいと言うので湿布を貼る。今は湿布を病院は出さないので、市販の貼る湿布を買って毎日2回貼り代える。

 

 

②処方薬の鎮痛剤は座薬(ボルタレン)、飲み薬にロキソニンを1日2回。

 

③先月になってそれでは痛みを抑えられないので、モルヒネではなく、合成オピオイドの「フェントステープ1mg」を1日1回。

 

 

④しかしこれではまだ痛みを訴えるので、今日から「フェントステープ2mg」に変更した。

 

 

骨粗鬆症の薬とカルシウム剤も飲んでいるが、効果の程度は分からない。

 

 

痛みを抑える事を最優先させるならば、鎮静剤や点滴による常時モルヒネ投与が常套かもしれないが、それでは自力で食事も出来ず、1日中寝たきりになってしまう。
家で過ごさせてあげたいと言う父の気持ちが萎えてしまう事も不安だ。

 

 

自力で食べる事が出来るうちは、ただひたすら痛みを取り除く事に手を尽くしたいのだ。

 

 

主治医もこの考えに賛成してくれている。もし入院となれば急激に弱る可能性があるので、自力で食べられるうちはせの方向で行きましょうと……。

 

TP値(Mタンパク)が少しでも下がってくる事を祈りたい。

 

 

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2019年7月12日 (金)

四回目の輸血

梅雨は苦手だ。


汗が蒸発しないまま皮膚にへばりついて、尚一層身体が蒸し暑くなる。


母の診断確定から1ヶ月が経った。
貧血予防の輸血を続けているが、これまでと何ら変わっていない。



私は今も、今でも、この決断で良かったのか迷っている。



多発性骨髄腫には幾つかタイプがあるようだが、どんなタイプであろうと治療方法は同じ。

使用する薬剤も同じだし、その後の移植も同じ。
更に言えば、治癒する事はなく再発しては抗がん剤治療の繰り返し……

結局、骨破壊が進行し死に至る。
ハー・・・(;´Д`)



骨破壊の無い白血病と異なり、多発性骨髄腫には『年齢制限』がある。

治療推奨は65歳までで、それより高齢の場合、治療対象から外れている。
無論、本人や家族が承知で治療を望むなら別だが、高齢の場合、逆に抗がん剤の副作用で悪化したり、認容性で苦しむ事になると……


つまり、抗がん剤治療は若い人が対象となる。

 

最初に異常を発見した病院も、母が膝の人工関節の手術をした病院も、そして医大の医師も同じ意見だった。


治療の苦しみは耐え難く、むしろ自然な成り行きにまかせた方が良いと……。

元々骨は弱く、脊柱管狭窄症の手術もしているので、病院通いが絶えなかったが、若い人でも、男女とも発症する病気である事から、必ずしも骨が弱いから発病する訳でもなさそうだし……。



役場から介護認定で、家の中で使う車椅子とおまるがレンタル出来た。
買おうと思っていたので、これは助かった。


それから日中、居間で過ごせるように、リクライニングのソファーベッドを購入。
テレビを見ながら家族と相撲を観たり、食事をしたり。



いつ自力で食べられなくなるか分からないが、その日まで、母と一緒に過ごす。

それが、私の生きている意味なのだから……。




2019年6月 5日 (水)

確定診断持ち越し

暑さも一段落した四日、母が
総合病院を退院。
血液を専門とする別の病院で診てもらう為、紹介状を書いてもらった。

 

 

 

岩手県内で血液腫瘍を診る事が出来て、抗がん剤治療が可能で、無菌室のある病院は3つ。

 

 

最も強く薦められたのは、赤十字病院だった。
総合病院から比較的近いと言う事と、
岩手医大が9月に場所を市内から大きく大移動すると、
通院がやたら遠くなるからだ。

 

 

 

しかし、どんな診断で、どんな治療になるかは分からないが、
造血幹細胞移植が出来るのは、東北では、岩手医大と宮城の東北大学しかなく、あとは東京になるらしい。

 

 

 

母は高齢なので、移植の前治療そのものが難しい。

 

しかも再発のリスクはさほど変わらないと言う。

 

 

それならば、医大か、中央になる。赤十字はやはり遠いのだ。

 

 

 

多発性骨髄腫は未だに完治が望めないという難治腫瘍で、しかも寛解しても多くが再発する。

 

治療薬の進歩は、この3年余りで劇的変化を遂げたが、高齢者に多い事もあり、強い薬は使いにくい。

 

 

 

年齢を考慮すると、経験豊富な専門医の判断にゆだねるしかないのかも……。
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2019年5月28日 (火)

輸血

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入院6日目。

 

混合部屋から整形外科の病室に移った。

 

これまではナースステーションから遠い部屋だったが、今回は歩行困難と言う事で近くになった。

 

 

先週金曜日に続き、今日、2回目の輸血。
赤血球成分輸血だと言う。

 

 

血液検査でも貧血の原因はまだハッキリ分からない。
しかし多発性骨髄腫疑いあり、と。

 

 

前回は、骨髄機能の低下が疑われるとして、白血病かもしれないと言われたが、血液でも尿でもそれらしい兆候がなく、結果、確定診断には骨髄液の採取となりそう。

 

 

 

骨盤の恥骨骨折は確定で、これは入院のおかげで起きたり歩いたりが無くなり、痛み止め薬も効いて、尻から足に掛けての痛みは無いと言う。

 

 

それだけでも、今は入院した価値はあったと思う。

 

 

それにしても確定診断までに時間が掛かるのが不安。
今の病院には血液内科が無いので、ただ骨折を見抜いた医者の技量と判断を待ちたいと思う。
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2019年5月23日 (木)

人にも換毛期はあるのか?

犬や猫には換毛期という体毛の生え変わる時期があって、春先に脱毛し夏用の毛に生え変わり、秋の終わりには再び換毛期が来て、冬毛に生え変わる。

 

 

人間でいう五月病は春から猛暑の夏に身体が切り替わるまでの不調かと思いきや、なんでも憂鬱な精神病らしい。

 

 

しかし、急に気温が高くなったり、夜中も暑いと気温の変化になかなか付いて行けない。

 

 

しかも朝はまだひんやりすると、身体がジタバタしてしまい、昼間は暑くと身体がダルく眠い?

 

そして夕方になると元気になる……という昼夜逆が起こるのが『わたし 』。

 

実に厄介だ。

 

 

 

最近はその昼夜逆が激しいので、直近5月の気温を調べると、15日を境に最低気温が10度を越えている。

 

 

それ以前はずぅーっと5度以下だったのが、急に高くなり……
つまり16日以降、夏バテ☀️??になっていた。

 

気だるく、ずっと眠いのは家中脱水の熱中症!

 

早っ!

 

 

それはさて置き、今日、母が入院した。
以前、膝関節の人工関節置換術をしてもらった所。

 

 

どういう診断になるか分からないが、色々な精密検査をすると言う。

 

 

 

しかし個人の整形外科でも、今度の外科でも気付かなかった臀部の尻もちを、まさか内科の先生が、
『臀部、骨折してますね』と見つけてくれた。

 

見たのは単純なレントゲン写真なのに、まさか内科医が発見するとは……何んてこった❗

 

 

そのせいで、あんなに痛がった訳だ。
ようやく納得が出来た。
しかも、既に少し石灰化しつつあり治り始めていると。

 

 

あとはただひたすら大事にならない事を願うばかり。
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2019年5月22日 (水)

母、入院す

またしても戻って来ました。
意外にソーシャルメディアは沢山あるのに自由に呟き、書ける場所がなく、結果ここに戻る事になりました……かな。

 

 

母が今月、家の中で転び臀部を打ってから歩けなくなった。

 

暫く湿布や痛み止めを飲んだり介護保険でマッサージを受けていたが、
痛みが引かない為、脳神経外科で診察を受けた。

 

この病院は過去に、脊柱管狭窄症の手術を受けた所。
直ぐにCTとMRIを撮り、結果、側湾症と診断され5月13日に入院したものの、その後、血液検査で重度の貧血と判明。

 

転院する事になり、15日に退院。

 

 

斯くして総合病院への紹介状を書いてもらい、慌ただしく本日入院する事に…。
事前のX線で、強打した尻にぶつけた跡がクッキリ写っていた。

 

あらら、脳神経外科のレントゲンには何も映らなかったのに、どうした事か?

 

 

臀部の傷にヒビはなく治り掛けているとの事。
では足腰が痛くて歩く事さえ出来なくなったのは貧血のせいなのか?

 

 

母、本人に眩暈やクラクラの症状はなく、不自然な皮下出血もない。

 

何がどう悪くて自力で歩けなくなったのか、調べてもらうしかない。
謂わば検査入院の様な感じだが、期間がどれくらいになるかすら未だに分からない。

 

 

 

 

 

2016年6月 2日 (木)

入院





今年に入り、たびたび不調を口にして来た父が、手術を受ける為、本日入院。


手術は明日。




私も、5月下旬は、絶え間なく検査や診察や申請やらで、
これまでで最高・・・かな、と思うほど出歩く機会が増え、

筋肉痛と、寝不足で、気持ちに余裕が無くなって来てます。

入院した病院が遠いと言う事と、
何もかもが朝早く、暇なく目をショボショボする毎日。




今年は母の帯状疱疹での入院もあり、
又、人工関節にもなかなか慣れずに、自力で出歩く事もまゝならない日常。
リハビリへの送り迎えは、父が不調の為、今は私が送迎役になっています。


私自身も不自由な身ですが、
曾祖父の教えを守り、出来る限り、頑張りたいと思う毎日・・・。




明日はまたまた早朝から病院へ行き、手術の成功を見守ります。


2016年1月13日 (水)

入院


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今日、母が入院した───。


病名は「帯状疱疹」。 そうだ、正に私が28歳の夏に罹患し、病院を転院しながら、計1年半もの長い期間入退院を繰り返した、あの恐怖の帯状疱疹だ!

母は今週の日曜日頃から脇腹の下に、潰瘍のようなタダレが現れ、最初は湿布負けかと思っていたらしい。
それが次第に、周辺に紅い発疹が現れ、水ぶくれになっていった。
痛みも、痒みもないものの、診てもらおうと言う事で昨日、父の通っている病院へ行くと、
薬疹ではなく、帯状疱疹と診断。

医師から入院を勧められた為、今日から1週間の予定で入院する。




母も父も、これまで帯状疱疹に罹患した事が無いとの事で、それにもまたビックリ!
体力や免疫力が落ちている人が罹りやすいと言うが、母の場合、症状は軽いようで、入院して抗ウイルス薬を点滴すれば、元気になると言うので、一安心・・・。


私が帯状疱疹に罹患した時は、ちょうど胃潰瘍で病院に入院していた時で、院内で発症・・・。

その後、すさまじい激痛に苦しめられ、痛み止めも座薬も全く効かず、肋間神経が、これでもかと言うくらい痛めつけられ、完璧に体力を奪われ、歩く事も出来ず、後遺症として十数年、顔面の疼痛に苦しめられた・・・。


極く稀に、酷い後遺症の出る人がいるとは聴いていたが、その後、身体の自己免疫反応が極端に強くなり、尋常性乾癬を発症。
その治療は今も続いている。


母は、症状としては軽度と言う事で、ホッとしている。




今年は、穏やかな元旦でした。

そしていつもより雪が殆ど降らず、現在は積雪3センチだとか。
「恒例 いわて雪まつり」も史上初の雪不足で、かまくらや雪像を作らず、滑り台とステージのみになるらしい。

雪は降らないものの、寒さは平年並みで、最近は真冬日が続いている。
ただ年末から新年にかけて、予想に反して暖かいものだから、真冬モードの身体がなかなか馴染めず、まるで春先のように眠く、四苦八苦・・・。


もしこのまま雪が微少なら、県内、今年は屋根の雪下ろし事故0が期待できそうだ。






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